外断熱が家族を守る 〇 震災で証明された確かな家造り

  • 外断熱が家族を守る 〇 震災で証明された確かな家造り
宮城県の東日本大震災における住宅の被害は、全壊82,999棟・半壊155,129棟・一部損壊224,195棟にも及び、言うまでもなく甚大な被害をもたらしました。

特に被害が大きかったのは、大津波が襲ってきた沿岸部地域で、弊社で建てさせていただいたお客様も多数いらっしゃいました。

震災直後は、電話やメールが一切つながらず、翌日から、出勤可能な社員が総出でお客様の安否と建物の被害状況を確認するために奔走したことが昨日のように思い起こされます。

津波被害の大きかった地域は、どこも想像を絶するほどの悲惨な状態で、どこがどこだか全くわからず現場にたどり着くのがやっとという状況でした。

そうした中、夕方事務所に真っ黒な顔をしてヘトヘトになって戻ってくる社員から、次々と驚くべき報告がなされたのです。

5メートルも10メートルもの津波を受け、街のほとんどの建物が流失した地域にもかかわらず、弊社の外断熱の家だけが、大地震と津波の猛威に耐え残っているというのです。











「社長~名取の〇〇さんの家が残っていました~」

「東松島の〇〇さんの家もありました~」

「女川の〇〇さんの家も耐えてました~」

ほかにも多くの地域で弊社の建てた外断熱の家が津波に堪えていてくれていたのです。

結果、津波被害を受けた弊社が建てた150棟余りの外断熱の家で、家ごと流されてしまった家はわずか一棟だったのです。

その一棟の建物はRCの大きな建物の直撃を受けたのですが、後日500メートルも離れたところで、ほぼ原形を保ちまっすぐ残っていたのです。

そして、お客様が家の中から津波に浸からなかった家財道具や思い出の品を運び出すことができたというのです。

※ ありがたい事に、このお客様も、この春ようやく移転用地の造成が終わり、ご両親の住む家とご自身の住まわれる家の工事が始まりました。

その報告を受けて思わず

「うちの建物はやっぱり凄い。これまでの家造りは間違いなかったんだ。」

との思いがこみ上げ、連絡の取れないお客様もいらっしゃる中、不謹慎ではありましたが涙が止まりませんでした。

〇 応急処理にあけくれた毎日

津波によって、床下や床上浸水の被害を受けたお客様も多数いらっしゃいました。

床上浸水といっても、被害は甚大でその多くが1メートルから2メートルの床上浸水の被害を受けました。

車や材木・ガレキがぶつかり窓が破られ、津波が室内に押し寄せ大きな被害をもたらしたのです。

当然、家具や電化製品・家中にあるものすべてが、使うことのできない悲惨な状態となりました。

ガスや電気・水道のライフラインも完全に止まり、次々と襲ってくる余震の中、多くのお客様は避難所生活を余儀なくされ、私達は、ガラスで破られた家に不審者が入らぬようにコンパネやボードを持ち込み、窓を塞ぐ作業に追われました。

その後、津波で被害を受けた50件あまりの住宅の改修工事に、社員と協力業者一丸となって必死に取り組みましたが、津波で荒らされた室内は、どこから手をつけたらいいかわからない状況の現場が多く、しかも息ができないほどの異臭が立ち込めていたのです。

「これは、早く処理をしないと家が腐れてしまう」との思いが頭をよぎりました。

カビや腐朽菌の増殖が早まるのではとの不安にかられ、それからというものは時間との闘いでもありました。

資材の調達や職人さんの手配に窮する中、それこそ全員が不眠・不休で復旧作業に明け暮れる毎日でした。

しかし、こうした大変な状況にあって、ハウスメーカーやローコストビルダー・他県からきた多くの造り手が、被災なされた方々の建替え受注を得るために、被災地にプレハブの事務所を次々と建てる姿をみて、何ともやるせない気持ちとあせりのような複雑な思いが交錯していた自分がいたのも事実でした。

そのたびに、今私達がやらなければならないのは、お客様が一日も早く以前の生活を取り戻すことだと、自分にも社員にも言い聞かせて、復旧作業に取り組む毎日だったと思います。

この記事へのコメントはこちら

以下のフォームよりコメントを投稿下さい。
※このコメントを編集・削除するためのパスワードです。
※半角英数字4文字で入力して下さい。記号は使用できません。