地味なお仕事
家のお庭のブルーベリーは、なんにもしなくても実をいっぱいつけている。 もう少しで喰えるようになるなぁ。 これが喰えればもう盛夏だ。 ぶどうの管理作業が続いている。 今の仕事は「花カスとり」である。 ぶどうの花が咲いた後の、咲カス?花カスを、軍手をかけた手でそっとしごき落とすのである。 ついでに、なりすぎている房を切り落としたり、大きすぎる房の整形をする。 花カスがついたままだと、2回目のジベレリン処理の時に「さび」と言われる状態、ブドウの皮にザラザラの障害が起こりやすいのである。 そそて、殺菌剤を使わない俺の場合、特にこういったカスの類がブドウの粒に付着していると、そこから何やらの病気が入り込みやすいので、この仕事はミッチリとこなさなくてはならないのである。 いじくる前の房 ↓ いじくっている最中 ↓ いじくり終わると 茶色い花カスが程々に落っこちる。 デカすぎる房は、ブドウの粒の軸を切り落とす 一日の作業が終わる頃は、見えない花粉が積り積もって、手やら頭やら着ているものが黄色く変わる。 台風前の湿った暖かい陽気。 ハウスの中は風もなく、これが地獄のような湿り気と暑さである。 おまけに、ブドウの花粉が鼻孔を攻撃する。 汗のようなサラサラした鼻水が流れ落ちる。ポタッと落ちる。 黙々と、やさしくブドウを撫でて歩く。 全部の房を撫で歩く。 大きく美味しく育ってね~、頼んだよ~~ と。 まったく凄い仕事である。壮絶である。 一房一房を撫で歩き、実りをお願いして歩いている訳だ。 地味である。 はなさかじいさんみたいな素朴さがある。 まったく、この生き馬の目を抜く程の時代に、職人やら農家やらは、まるで江戸時代みたいな素朴な堅実な作業が要求され、機械に代わる事の出来ない素朴過ぎる作業の積み重ねの結晶を世に送り出す訳である。 こんな仕事って他にあるのか!? それにしても花粉よ、花粉症よ、 これとのお付き合いは厳しいのである。
2012.06.19