3・11 忘れ得もしない昨年の出来事。
早くも1年が立とうとしている。
日が暮れるごとに、3・11に近づく程に、その頃何をしていたのか鮮明に思い出される。
昨年の今頃は、鹿の燻製を作ったり、凝った料理を楽しんでいた。
娘はパンを焼き、ささやかで質素な家庭生活を思い切り心で受け止めていた。
3・11を堺に、日本の政府や戦前の財閥の様な東電、その後のお粗末な面々のお粗末以下の政局を楽しませて頂いたものである。
それは、幸せなドラマを見るのとは違う。
血みどろの悪役が暗躍するプロレスの試合と言うか、いやいや、そんな潔癖な悪のショーではない。
私利私欲利己保身と嘘と秘密主義に塗り固められた庶民不在、国民不在、利用者不在とも言うべき民主主義国家を語る政治家と財閥の、糞下らない便所の汚物の様な混沌のドラマである。
いったい誰の国なのだろうか。
大阪の橋下さんの考えややり方が人気をえているようであるし、それに群がるミミズだったかネズミだったか白アリだったか・・・・・
しかし、橋下さんであれ速度が上がりすぎればマラソンを走りきる事は出来ず、何とも暴走を始めた列車に見えなくもない。
ワタクシは、311を期に、日本人の記憶としてそこがターニングポイントとなる事を期待していたのであるが、どうも一般社会で定年を迎えるお歳以上の方々の活躍が目立ちすぎ、その活躍と言えば、自分たちの世代の事しか考えておらん我儘勝手な自己満足劇場ではないかと思うのである。
東電は犯罪者である。
過失致傷とか、過失何とか・・・という犯罪に当たろうし、それを指を咥えこんで眺めており、更にそこから甘い汁を吸いこんでおったアブラムシみたいな政治家諸氏にあっては、それのほう助であり同罪であろう。
東電に風評被害を認めるよう申し込みお願いなどしているようであるが、あれはおかしい。犯罪者にはお願いでなくて命令が似合うのである。
東電と国に原発被害・自主避難などの経費保障を求めるのではなく、被害者として命令し請求し、従わねば裁判に訴えれば良い事なのではあるまいか。
お上に腰が低いのは仕方がなかろうが、俺たちん国、俺たちん生活、俺たちん未来は、俺たちが自力で獲得すべき糧であり、棺桶に片足突っ込んでヨロヨロ歩く政治家や、どこぞの世間知らずの、自分の言った事の意味も分らんで平気でいるような、箱入り御坊ちゃまに任せておけんのであろう。
さて、お国の、国民の幸せを考える事が出来んような政治家には、あんたがたが日本をでたらめにしておるんだ!責任とって見せたまえ!と言ってやりたいのである。
政治をやるなら、その根底に国民の幸せを願う心のベースが必要だ。
勉強ができるとか、政治に強いとか、知識があるとか、試験をさせるべきだと言う前に、そのスピリッツを測る手段が必要ではなかろうか。
僕たちは、それを持って投票に向かえばよろしい。
さすれば、沖縄の飛行場を「羽田空港」などと、お馬鹿すぎる勘違いする、私は馬鹿ですので大臣などやってられん、ゴメンナサイなどと、自ずから辞職するだけの器量を持ちそうなものである。