(写真は、北海道のシカ・駆除されたものも含む、本州のイノシシなど)
我が家では毎年、自然からの贈り物を目いっぱい楽しむのである。
山菜はじめキノコまでであるが、なんといっても醍醐味は「肉」である。
燻製や、ハム、ベーコン、などなど、誰からも手を借りず一人で作り上げて、家族やみんなで楽しむ。
お金を出して手に入るものとは全く違うのである。
最高の贅沢である。
フォアグラなんていう、ちょっと瀟洒な食い物ではあるが、嫌いではない。
いやいや、食えるものなら時々楽しみたいものである。
そのフォアグラがどうも危ないというか、問題になっているようだ。
放射能が出たとかそういう危なさや問題ではない。
その生産方法が動物虐待だと言う事で、保護団体から突かれているようで、ヨーロッパの生産国では、廃業などで生産量が落ち込んでいるそうである。
無理やり漏斗で餌を詰め込み、病的な脂肪肝臓をつくりあげる訳だが、それがまあ、動物虐待と言う事らしい。
そんな事言ってりゃ、先進国?のほぼ全ての食肉動物は、考え方一つ、見る角度一つでみんな虐待に見えなく無い訳で、なかなかの混沌である。
近い将来、フォアグラを喰うという文化が絶えてしまうのではないかと、危惧するのである。
フランスやハンガリーのフォアグラ農家には頑張って頂きたい思いである。
自由に生きて、時々捕まって食べられちゃうクジラも、えらい事になっているが、食べるために餌を無理やりもらうカモやガチョウも駄目だそうだ。
ならば、牛や豚はどうなんだ、とお伺いしたいものである。
だいたい、バッファローとかアメリカ大陸の大型の草食動物を考えもなく殺しまくって食べちゃったり、捨てちゃったりした経緯があって、それに対する反省なのかどうなのかは良く分からんが、ちょっと議論が極論すぎる気がする。
北海道や、その他本州も含め野生のシカなどの農林被害が著しい訳だが、あれを大した検証も理解もなしに、「可愛そう」と始まると危機的状況が発生する。
農林業だけでなく、狩猟者や行政も攻撃の対象となりえる。
俺んちの辺でも、サルとかクマ、最近ではイノシシなんかが出てきて、TPPとかアホバカ東電の撒き散らした放射能や農業情勢の他、自然界からも脅威がある訳で、その対応に苦慮している。
俺個人的には、山手の谷の最深部のブドウ農園なのだが自然動物の被害はほぼない。人の脳みそが動物に負けておられんので、被害が始まった10年以上前から、試行錯誤して、現在に至る訳だが、最近は被害らしい被害はないのである。
動物被害に関しては、ほぼ99%の被害を防いでいる。
こういった個人の実績を大きく評価し、検証し、広く広げたいものだが、業者によるセールスは材料を多く販売する事に特化して、実際効果的な成果を上げきらないのが現状である。
俺の防護柵は、業者見積もりの数分の1の値段で出来るのだが、安上がりでは高価が少ないと誤認するのかどうか、みんなお金をかけすぎて、そして効果が薄い訳である。
しかし、ブドウ園の周りには熊やサルが普通に歩き回っている。
まあ、手立てによって被害を免れている訳だが、サルに限って言えば生息数の増加がみられ、適正な駆除が必要であると認識している。
要は、泥棒が多いと被害も増える、と言う事に似ている。
クマは、さほど頭数が増えるものでもないので、あまり気にならない。
むしろ、過剰な駆除によって生息数激減で、保護動物になってしまう事の方が、クマ猟師としても農家としてみても、私や里山周辺の生活を脅かす事になる。
適当な頭数がいて、狩猟などによる人間界の恐ろしさの教育と、伝統狩猟による自然ンからの享受が出来、将来的にそういう体制を維持できることが望みなので、むやみに檻で捕獲して駆除してしまう事には慎重である。
いずれ、人が生きると言う事は、人間以外の動物の天寿を曲げてと言う事は避けられないし、人間同士でさえ戦争などで命を奪い合う。
真摯に、自然や命に向き合い、そして他の職なり生活様式を尊重し、慎重な議論が必要な訳だ。
議論も対案もないまま一方的に批判し、特定の人の文化や生活まで奪い上げてしまうような運動と言うものは如何なものか、と思う訳である。