山の仙人になりてーなぁ~
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文学的な考察
生きるとは
生きるとは
悲しみを負う事である
生きるとは
それを知り、生きる事である
生きるとは
愛することである
そう思う。
2011.10.15:kuma仙人:[
文学的な考察
]
ヤマガタンver9
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追記
そして、生も、死も
認識できる今に於いて、全てを許容したい。
そういう生でありたいし、
そういう我が命でありたい。
壮大な許容であるが、それは命の右左のことであり、手前の生きる上での生活の手段とは違う。
私のブログタイトルにある、生きると言う事を、幾度も考え、
考えて歩んで行きたいと、そう思う。
今までの生き方は、間違っていないような気がするが、
素直に凸凹ではあろうが、私の生あるうちの表現として、きっとここに記そうと思うのである。
2011.10.15:kuma仙人
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お帰り
生きることは
死ぬこと
生きることは
死ぬまで生きぬくこと
如何に生きるかということは
如何に死ぬかということ
死を見据えない生き方は
滑稽で無様
如何に死ぬかの為に
大切に今を生きる
それだけ
2011.10.15:麦チョコ
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麦様
行って参りました。
自然は、なんにもなかったみたいに、あの凶暴な一面さえ当然の一面であるように、太平洋は太平洋のままであった。
オイラが感じる山の自然となんら変わらなくそこにあった。
失ったものは、人間の認識する持ちモノである。
自然は何も失ってはいないのかもしれない。
しかし、放射能は違う。
プルトニウムなどは、自然界に存在しない。
失った想い出以上に、放出させた放射能の罪は、未来に於いて重いのだろうと俺は考えている。
2011.10.17:kuma仙人
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