ついこの前、63億だった人口が、10月には70億人を突破し、2050年には93億、2100年には101億を見込んでいるそうだ。
食い物、エネルギー、人間の生活に必要な諸々はどうなるのだろうか。
計画停電とか、節電とか、そんなレベルではなくなるだろう。
地球規模の節制が必要となろう。
昨年、この頃、共に酒を飲み、笑っていた友が、今は草葉の陰の人となっている。
信じがたいのだが、あの元気な姿は戻ってこないのである。
さて、俺は、どうだろう。
来年の今頃は、土の中・・・
なんて、ないとは言えない。
儚さは、人の持つ人生であり、夢である。
儚さこそ、人生なのかもしれない。
鹿のハムを喰らい、
ブドウ園でおもちゃの鉄砲を担ぎ戯れる息子に、
微笑みを投げる。
儚さよ、儚さよ
わびしさよ、せめて痛みのの慰めに
ギターを摂りて つま弾けば
どこまで時雨 ゆく秋ぞ
トレモロさびし 身は悲し
君ゆえに 永き人世を
霜枯れて
永久に春見ぬ
我が定め
永ろうべきか 空蝉の
儚き影よ 我が恋よ
古賀雅夫の影を慕いてである。
疲れ果てたよるに、こんな音楽を聴きながら酒没するのも良い。
こんな一瞬も良い。