雪景色。
4月とは思えない寒さである。
2年連続の事だ。これでいいのだろうか?
いままでの常識を変えて農作業にあたらないといけないのかな。
先日の、とある農産物の栽培検討会での事である。
kuma仙人は、当地での放射能などの計測を行い、そこで客観的な判断をすべきではないか、或いは、簡易検査でも独自にするべきではないか、という提案をしたのである。
当地は、東の山一つ越えれば福島県であり、福島市である。
とは言っても、福島市街とは直線で約30キロの距離があり、1000メート程の奥羽山脈を挟んでいる。
福島第一原発からは95キロ程の距離にある。
最寄りの放射物質観測地点である米沢とは約10キロ離れているが、米沢の放射線レベルは、昨日19日で0.88μSv/h(毎時測定の最高値18:00)。今日はだいたい0.85μSv/hである。が、俺んちの近所は、東風の影響が米沢よりずっと大きいはずで、もしかしたら数値にかなりの開きがあるかもしれないと思っているからである。
※福島県内の小中学校の校庭の放射線レベルの基準(校庭で遊ぶ、校内で活動、学校休校)を3.8μSv/hとしたそうだけど、大丈夫なのかな?かなり心配な数値だと思うのだけれど。やはり、自分で考えて行動するべきかもしれないと、俺は思う。
普通は、より影響を受けやすいかもしれない場所で測定すれば、それより遠い地域では割と安心できるはずである。
そして、そこに住む俺たちも安心して暮らせるという訳であるが・・・・・。
出た言葉に驚いた。
いや、想像していた通りの言葉に驚いたのだ。
まさか、ホントにそう思っているんだ、と。
放射能の測定なんてしてもらったら困る。もし出たら作物が売れなくなる。
万が一出たら、測らなかった事にするしかねえべ。
いや、数値を低く発表すればいい。
いや、心配だから測る方がいい、と言う人もいるが、声が大きいのは前者である。
そもそも、危険な値があろうが、計測しなければ「安全・安心」と言って売る気なのだろう。何事もなかったのならそれでいいが。
農家が考えてる安全てさ、
危険なものが検出されない事?
それとも、危険なものを使わないって事?
使っても、検出されなきゃ良いて事?
検出されても、出なかった事にすればいいって話??
ホウレンソウから高い数値が出たって?
隣に植えてある何か別の野菜は、検査対象じゃないから販売できるって?
山形県じゃ、原発より、より遠い地区の農産物ばかり計測して、この辺のフキノトウの計測なんか絶対やりそうにない。
検査品種だけが販売できなくて、検査対象外の野菜や果物は同じ地域で採れても販売していいのかい?
風評被害??
それって、本当に風評なの??
検査して「安全」なら「安全」なのだろう。が、検査しないで「安全・安心」は、今回の原発に限ってはない。
ここに、小難しい数値を並べて話をしても長くなるだけなので、詳しく知りたい方はこちら。今回の原発事故に関して、色んなことが詳しく分かりやすく書いてあります。⇒武田邦彦氏のブログ
安心・安全とは信頼なのである。
嘘をつかない、人を裏切らない正直な心なのである。
「安心・安全」という、表記できる文字ではないのである。
「有機栽培」だって同じだ。その手段、方法ではなく、それを行う人間そのものなのだと思う。経済じゃない(いや、お金は必要だから全くそうじゃないとも言えないが・・)。
農家の気持ちは良く分かる。
俺も農で暮らしている。
農を失ったら、ちょっとやばい。暮らせないかもしれない。
しかし、環境を保全することを最優先にしている、俺の農業スタイルであるが、その結果、人間の健康に直ちに影響がないかもしれないが、いつか害があるかもしれない作物なんて作りたくないし、人の口に「はいどうぞ」などと言って運びたくもない。
有機農業や特別栽培をやってる中にも(非公式な未確認という事にしておきたい。ここは言葉をあえて濁させて頂く)使用が認められていない材料を使っているらしく見える人がいなくもない。俺の目がおかしいのかどうか分からんが、どう見ても使ってるんじゃないかと言う結果が表れている場合もある。草が勝手に枯れたり。水田の中に白い粒がパラパラと落っこちていたり。
俺は、嘘をつく心が嫌だ。
人を騙すのが嫌だ。
自分の為だけに平気で人を裏切ったり、陥れたり、無神経に傷つけたり、欺くのが許せない。
ここで、そんな農家を告発するつもりは毛頭ない。
しかし、全ての農家が信用に値するかどうか、何を信用するのかは、他人に頼れないと言う事ではないのだろうか。
国家にあっては、現在の状況を見る限り全く信用できない。
情報統制なのか、国民が最も憂慮しなければならない事態を率先し提供していない。
原発の近隣に対しても、的確な判断で国民を守るべく動いているとは見えない。
国家の最大義務は、国家の存在ではなく、国民を守る事にある。
地方、国家の議員はいくらでも代えが効くし、失っても困らない。
が、家族や友人は無二のものである。人災で失えないものである。
地震、津波被害への復興、援助には最大の努力を惜しんではならないし、最重要課題であるが、くだらん国家の備品のために、その予算が割かれてはならないのである。
俺たちは、国民は声をあげなくちゃならんのですな。
さて、がんばろう、東日本!!