原発事故を重大に受け止めて、子供たちを避難させることにした。
国の発表では、1号原発の建屋崩壊後、適切な処置において事態は充足に向かう旨。
3号原発では、圧力を逃がし、適切な対応中であると・・・・・。
で、一般人が複数被ばくしてるじゃん。
確認されたのは9人とか言ってるけど、確認するために検査した人が9人である、と同意なのですよ。
相当数被ばくしてる可能性があるだろうね。
原発事故では、想定される最小の被害発表・・・・。
被ばくでは、確認された最大の被害発表・・・・・。
両者とも、最も小さい数字を発表すればよい理屈である。
昨日、明るいうちに原発爆発の映像をテレビで見た。
ショックだった・・・・・。
地震や、津波以上に、吐き気がするほどのショックであった。
その脅威が、人為によることの怒りに胸が悪くなった。
制御できないものを持つ者への不信に吐き気がする。
子供たちが・・・・・。
子供たちを未来に渡すことを、神と約束して俺は親になったのである。
その大切な子供たちを危険にさらす訳にはいかない。
家族を集め、直ちに準備した。
しばらくテレビで様子を注視したが、
避難範囲が3キロ、避難待機範囲が10キロだったのが、20キロに拡大された時点で、郷里信州への避難を決定した。
夜通し車を飛ばし、今、信州からこのブログを発信している。
まるで自分ばかり安全な地域に逃げたみたいな気分で・・・、気分が悪い。
しかし、執り越し苦労であってほしい。
そして、身の安全は、自分で守らなければならないのである。
国家は、想定される最悪のシナリオを検討し、それに見合った対策を執り、国民の安全を確保する義務がある。
それが、シナリオから現実のものにならなければ、それでいいのである。
しかし、今回の被ばくは、避難範囲や、退避、その他すべての行動が甘い事の結果である。あるいは、一大事を、矮小化させるがための策である、と、思わざるを得ない。
国家は、権力や地位に固執した連中に牛耳られ、国民の安全など二の次である、としか思えないじゃないか。
官房長官のテレビでの会見を見て、事をいかに小さくし、小さく発表するかに終始しているとしか思えないのである。
そもそも、原発は想定されるすべての地震、津波被害によっても最悪放射能が漏れる事がない事を約束に、建設地域や国民にその建設と使用を許されているはずである。
想定外の地震や津波によって、冷却装置が機能しなくなった、などというのはおかしな話である。許される話ではないのである。
原子炉の破壊はなかったが、建屋のコンクリート部分の破損があったって???
あれは、爆発でしょ!
破損なんて、言葉はあってるかもしれないけど、「爆発のため破損」が正しい表現だ。
自然界に影響がない程度のレベルの放射能漏れだって????
漏れて大丈夫なものなら、騒ぐ必要もなかろう。
山形県知事殿には、非常事態の宣言でもしていただき、万一のため万全の対策を講ずるよう、国家から独立した、自分で考え行動できるという自立した県政を願いたいものである。また、各市町村においても同じことである。
地域の宝とは、未来を背負う子供たちであり、過去を築き伝承した老人たちである。
それを守れんでどうする。
と言いたいのである。
我ばかり 避難するには 心重く
彼の地の 被災に 胸痛く
どうか頑張って、どうかなんとか
一時も早く、温かい時間を迎えることを 願うしかできない。