蛍が飛んでおる。
月食の満つ月の晩であるが、
雨がちらりほらり、
気温が高い中に、僅かばかり爽やかを運んでいる。
犬のポチと共に、夕涼みに参った。
今年、初めて見る「ほたる」。
そんな季節になったのである。
置いて来てしまった愛おしい時、
遅咲きの桜の咲く頃に、彼岸に渡したポチの親、俺の娘、猟の信頼できる友、
愛人・・・いや愛犬・・・・・・
まあ、愛おしいもの・・・であるな、一言で。
すべて、もの・・というべきか、時というべきか、
いずれ、薄れ忘れ去る過去である。
が、感傷に、季節の移ろいは、いつの時代も言葉を選ぶほどに重く。
ささやかな、移ろいを、季語にしたためる。
ホタルを火垂 と表す術がある。
さみだれ・・・五月雨(もはや6月下旬であるが)、梅雨の候、旧暦では今頃であろう・・・・・を、
「さ水垂」---「早水垂」と示す術があるそうである。
さ--早・・・・とは神に捧ぐイネの苗、水垂とは、梅雨・・・天より与えられる恵みの雨(モンスーン)であろう。
火垂と早水垂・・・時をおなしくして、相反する似た文字使い。
さみだれという、コミニティーを使う私の、
ちょこっとばかし、感傷の晩である。