ポツリポツリと静かな朝に 静かな雨が降る
ロンドンの春の雨はどんなかしら?
モスコウの春の雨はウォッカの香りを含むのかしら?
小遣いがなくて、本を買えない。
生業は、楽しく 刺激的で
そして この生活に ほぼ満足しているのだが、
この国の経済には馴染まないという訳なのか。
古い本を何度も読み返す。
「開高 健」
食の大家 釣り人 サントリー 従軍記者 彼は天才ではなかったかしらと思う。
氏の食に関する独特なもの書きは、ククッと恥部を擽る指先のようだ。
読み返す度に、森羅万象に深く 幾度読み返しても飽きない。
いや、俺の場合1度で理解できないものだから、何回読んでも楽しいのかもしれない。
「地球はグラスのふちを回る」という著作がある
昭和56年の発行であるが、文芸春秋や新聞各紙に掲載されたものの収録単行本であるから、中には昭和51年の作から との資料がある。
三十数年前の文章であるが 斬新である。
古さを感じないのである。
内容についても、昨今のテレビ番組や雑誌などで今トレンディ~などというものさえある。
その表現には、天才なのではあるまいか と
巷の食番組が、まるで時代遅れの保育園児のままごとの如く見える。
というか、それらの食の表現が保育園児以下であり、乏しいのだ。
テレビの質を嘆けばキリがないし、テレビにそれを求めるのが間違いなのかもしれないが。
それにしても、ひどすぎる。
肉を食えば 「やわらか~い」
野菜を食えば 「あまぁ~い」
何を誰が喰っても おんなし である。
それがショービジネスの定番であり掟なら、我々はそこから去らなければ成人出来ないだろう。
地球はグラス・・・・の中に
”どの国の飲み助たちも、めいめい、自分のところのものだけが生一本の本格品なのだと自慢してゆずらない。かわいい、無邪気なナショナリズムである”
という節がある。
何とも言い得ている。
私みたいな旅の人(?)にしてみれば
なるほど、なるほど そこかしこ 至る所にあふれる無邪気すぎるナショナリズムではあるまいかと感じるのである。