雨の朝、被災地を想う
3月11日以来、新聞の記事にはその事が途絶えた事がない。 そして、7ヵ月が過ぎて、被災地から遠い地域の日常は日常に戻り、あの日の事を想わない日もある。 何時までも悲しみやショックを心に留める事はつらい事だ。 しかし、それを忘れてはいけないのだろう。 記憶を身体の一部として、死するまで共に生きていく。 教訓と、恐怖と、それを避けようとする知恵や工夫、そして本能。 東電福島第一原発であれ、真実は一つであろう。 想定外だったとか、安全なはずだったとか、俺たちの責任じゃない・・とか、 そんな事はどうでも良い。 人知人力が制御しきれない炎を、人知人力が制御しきれない自然の猛威に開放されたと言うだけの事である。 何処の原発でさえ、宇宙から落ちる衛星や隕石の直撃には耐えられないだろう。 今回の原発事故以上の壊滅的被害損害がでる。 大きめの隕石が太平洋に落っこちたって、想定外?の津波が起こる。 環太平洋の原発は全て破壊されるだろうね。 そうなったら、やたらとでかい隕石が落っこちてこなくても、30メートルの津波を起す隕石の落下で地球は滅亡って事になりかねない。 確率的にはゼロに近いだろうが、ゼロではない。分母に対し分子は1である。 テロ、飛行機事故、隕石・衛星の落下、人為的ミス、設計ミス、地震、戦争、劣化・・・・、不安定な原発の事後の危機はいくらでもある。 事故後の安全で適切な処理が約束できなければ、それは持ってはならないのである。 それが日本の、世界の、地球の法だろう。 責任の在処と対応能力がなければ、僕らは社会の一員として車さえ運転できない。 原発とか、おかしな遺伝子組み換えとか、事後の責任を負わないシステムが人類の未来と命を脅かすのだ。 カメムシが多い。 参るな、射撃場の写真だが・・・・。 椅子やシートを払ったら、足の踏み場もない程のカメムシ・・・(笑) ブドウ園もいい色に紅葉してきた。 間もなく剪定の仕事に入れるだろう。 アッシュは、俺が噛り付いて、渋くてぶん投げた(甘いはずだった)柿をくわえてきて、まるっと1個喰ってしまった。 柿食って大丈夫なのか??? 柿食えば イワシの空に 一筋の 飛行機雲に 遠き君を想ふ ・・・・・・・・・大林 麦茶(クマ)・・・・ これから、チビ助と太平洋を眺めてこよう。 その姿を胸に刻むために。
2011.10.15