ある言葉

アルコールに犯された脳で書いたので、誤字が多く、訂正しちゃいました。



優れた道化は

愚かさの隠れ蓑の下から

相手に鋭い批判の矢を射かける


井上ひさしが言っていた言葉であるが、
俺の昨年の日記、或いは手記のようなものに記してあった。


そうありたいのだが、道化で居る事。
あるいは道化である事が、まず、難しいのかもしない。

道化でさえあれば、それも可能だが、道化になれない。

黒子にもれなくて、セリフのない村人・・5番、というところだろうか。


まあ、それでいいのだが、最近はその村人であるのも嫌になってきた。

村のお代官様や庄屋様、あるいは越後屋だか駿河屋だか、そういった手合いが台頭し、村の5番などの出る幕もなく。

おまけに、黄門さまの存在もない。

悪代官と、越後などの活躍跋扈が目に余るのだが、それもどうでも良くなってきた。


より仙人に向かおうか。
娑婆との接触を断ち、或いは俺の意志で、俺の想いの通りに娑婆と接しようか。


射る矢は炎の如く飛び立つのだが、
矢先、着弾は氷の大地。

まるで管内閣、今の内閣という塩梅で、
そこには文学も、イデオロギーも、知性の微塵の欠片もなく、
ヒトデがサンゴを喰い朽ち果てるかの如き植生があるだけのように感じる。


国家も、地方も、



優れた道化に、誰がなろうか。

誰が優れた道化なのだろうか。


まさか、俺じゃぁなかろうが。


ひさし先生は、何人称をもって優れた道化と言葉を綴ったのか。


優れた道化の誕生を待つのが俺たちの世代なのか・・・・、
優れた道化を演じるのが、私たちなのだろうか。

いずれ、39歳の細野君にはその役は似合わないなぁ。
2011.07.03:kuma仙人:[ぼやき・つぶやき]

………

真の道化は

心深くに哀しみを知り
仮面の下に涙を隠したるからこそ

道化を演じる事が出来るのです

人の哀しみも涙も感じ得ない者が演じる道化ほど
腹立たしく感じるものはありません

深く深く
痛みや苦しみを知る道化だけが

真に的を得た
鋭き言の葉の矢を放てるのです


只の馬鹿者が賢者のフリをしても滑稽な様に

哀しみを知らぬ者が道化を演じても
空々しい事でしょう

今、私達は、耐える時なのではないでしょうか?

計り知れない大きな意思に試されている時なのかもしれませんよ

2011.07.04:麦チョコ:[編集/削除]

どうでもよくないこと

絡むと馬鹿を見る世の中。だと思えてくる今日この頃。

ふと20数年ぶりに電話を頂き声を聞けた人がいた。

お互いに涙声になり生きてる事を良しと確認しあった。

彼はガンを患っていた。それも運命と言っていた。

20数年間の私を褒めてくれた。

電話を切って考えた。

悪代官や年貢で食べてる方たちなんて所詮褒められた存在ではないということを。

居ても居なくてもおそらく世の中はたいして変わらないだろう。

誰に変わったとしても、自分が関わらない以上は意味をなさないのだろうし、かといってなろうともしないし。

そんなときにこの本を読んだ。

大津秀一 「死ぬときに後悔すること25」

お馬鹿な代官と関わる暇があったら後悔しない生き方をと。



2011.07.04:master:[編集/削除]

麦チョコさま

夕べのブログアップは、部落のソフトボールの打ち上げに、昼間から飲み続けたアルコール類に完全に溺れた中で、誤字ばかり。
これから訂正しなくちゃ(笑)
国家もそうだけど、間近に迫った町議会選。
国家の前に、民衆により近い、こういった世界から正さなきゃならんのです。田舎親父の鼻高寄合であってはならんのです。
道化じゃないけど、批判したところで理解できないだろうし、それ以上言うと、逆切れされたり・・・・。
能力と、実行力を選挙パンフでうたう人間が、まったく能力と実行力がなくて笑ってしまう。
こっちが道化じゃなくて、あっちがちんどん屋的な。
あんまり町民を笑わせるんじゃぁねえよ~、越後屋だか田舎町お代官様よ~

ってな塩梅で。
飲み会のさなか、必死に部落に取り入ろうとする、現町議の姿は悲壮感も若干あって、なかなかのピエロぶりでもあるが、その芸は犬の「オテ」以下であり、わが身大事のそれは、腐った雲古以下である。
2011.07.04:kuma仙人:[編集/削除]

masterさま

ばかなお代官やら、年貢で喰う連中が、所詮褒められた連中ではない事を、

いたっていなくたって、誰がやったって似たようなもんだと、

俺たち庶民は良く分かってるんだと思うのだけれど。

当の連中ときたら、それを鼻にかけ、馬にでも乗っているかのような高い視線で人を見下す。

ああ、悲しいかな、ちんどん屋の衣装で馬にまたがるサルの様だ。

部落代官だから関わりあいたくもないに、やはり間接的に被害と言うか問題があります。

昨日の酒飲みでも、
何故隣近所(俺)が応援しないで、我々が応援せにゃならんのだと。言いがかりをつけられてしまった。

そりゃ、応援できるお方でないから、応援しないまでの事であるが、選挙を部落行事か何かと勘違いされているお年寄りも多く、なかなか面倒であります。

大津秀一・・・古本探してこよっと

2011.07.04:kuma仙人:[編集/削除]

この記事へのコメントはこちら

※このコメントを編集・削除するためのパスワードです。
※半角英数字4文字で入力して下さい。記号は使用できません。