昨日、12月14日、山形市の山形東高内の女子トイレで起こった事件であるが、
若い男が刃物で女子生徒に切りつけ、逃走したとの事。
幸い生徒は、カーディガンを切り裂かれただけで、その刃は身体を傷付けていないと言う事であったが。
今朝になって、犯人とみられる19歳の少年が母親と警察に昨晩出頭したと言うニュースが流れた。
強姦目的であったとの事である。
最近似たような事件が多い、強姦目的でなくとも他人を殺傷したいと言う理由の犯罪、よく理由が理解できないものが多い。
それが、幾人もの人間を殺傷し、事件としても大きいものが多い。
どうなっているのだろうか。
日本と言う国は病んでいるのだろうか。
国会からして、まともで正常な議会・議論が出来ているとも思い難いし、まして東電あたりの撒き散らした放射能であっても、東電の主張からすれば無主物であると・・・。
つまりは、放射線物質は東電の持ち物でなく、無主物であるから、それらは汚染された土地の持ち主のものであると言う理屈。
こんな言が許される訳はなかろうが、日本を代表する大会社が打ち出す無責任極まる言の流布が許されている。
国会議員、与党にあっても、まったくあのマニフェストなどお笑いである。
あれは何処へ行った?
あれは嘘だったのであろう。
平然と嘘をつき、つきっぱなしでその舌も乾かぬうちに、更に嘘を重ねるのである。
発した言葉に責任を負わず、嘘で塗り固める。
そういう国家は健全とは言えないし、そんな大人が通用する社会であっては、そこに健全な教育と、健全な青少年を求める事は絵に描いた餅というものだろう。
犯罪は社会の真の姿。鏡であるかもしれない。
立派な振りをする家庭にあって、そこの子息の愚行が家庭の鏡と言われるのと同義である。
私たちが命を継続するために必要な、農林畜産漁業であるが、今教育の現場からは、その中に存在する必然的な残酷さは排除されている。
動物の「とさつ」などがそうであるが、それらの現場(血や解体、殺の瞬間)が残酷であるとか、或いは人間の中の凶暴性が呼び起されるのではないかという理由から、テレビをはじめ印刷物であっても目に入る機会はまれである。
事実を都合のいい部分だけ受け入れ、全てを受け入れない事によってバランスが損なわれる可能性は議論されない。
原発は安全であり、クリーンであるという話ばかりで、今回のように事故が起きた時の事が全く議論されていなかったのと似てはいないだろうか。
100億を超える財を、個人がなんぞ博打で使い果たしたなどと言う、ティッシュペーパーの会社のお話など、もはや俺ら庶民には現実を離れた物語としか思えないのである。
どこぞの一流カメラ関係企業にしても、その名声がありながら何故と思わずにはいられないのである。その内容は、素人経営者が考えたとしても、お粗末すぎてそんな失敗はしない。
狂っているのである。
嘆かわしい、悲しい、そして幼稚な理由の重大事件が多い。
昨日も俺たちは、仲間として山に入り、クマを追った。
最後の最後に、俺がクマと対峙したのだが、山の神の御意向で、放った弾丸はクマを獲物としない軌跡を描いた。
その銃を所持するにあたり、身辺や家族の調査、精神鑑定、財産の審査、平素の素行、実績などなど多くの審査と経費を費やし維持するのである。
銃での事件は重大で、その使用にあっては殺能力が高いので、犯罪にあっては重罪である。
しかし、刃物はじめ殺傷する道具は世の中にあふれている。それらには使用の審査などないのが普通である。
便利な道具が、使い方一つで人を殺傷する道具になりうるのである。
それらが、本来の目的通りに使用され、自他を傷つける事がない世界がみんなの望みなのである。
人間の脳みそであっても、その志向がみんなの幸福に向かい使用されることが当たり前の如く望ましいのである。
なんだか、下界に居ると、考えが暗くなってしまいそうだ。
山は良いよ、
外は良いよ、
海も、川も、野原だって
暖かい太陽の下、もっと自然を感じて優しい気分になりたいね。
カッターは
基本は鉛筆を削り、紙を切るもの。
使い方知らずに育っちまったのかねえ…
道具は上手に正しく長く使いましょう。
って、親が手本しめさないとね!!
使い方知らずに育っちまったのかねえ…
道具は上手に正しく長く使いましょう。
って、親が手本しめさないとね!!
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