報告・宮城にて

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10月15日 土曜日
チビ助とジコ姉ちゃんを引き連れて、小雨の上和田を出た。

お出かけするような恰好ではなく、ふだん着のままである。


津波に見舞われた地域を見せたいと思った。
そして、そこにあった営み、一瞬にして失ってしまったそれまでの思い出や命、家、土地、全てのものを、子供たちの心に留め、そして生きて欲しいと願うからである。

ものを大切にし、命を大切にし、人の痛みを知り、優しく、強く、しかし臆病で観察眼を持ち、細心の注意を怠らず、そして「いのち」のありかを知る人になって欲しいと願うのである。


高速仙台南道路から仙台東部道路に入り、塩釜方面に向かうと、そこは津波が到達した場所である。

テレビで見た、津波が押し寄せるシーンが鮮明に思い出される。

一瞬でも、俺自身、今運転するこの場所に居る事が怖いと思う。

道路から見える田畑は草が生い茂り、その中に復旧のための重機が見える。
家や集落も見えるが、今は秋色になる草原の中にある。

それでも、瓦礫や車などは片づけられ、草を剥ぎ取り方付けをした田形があちこちに見える。

多賀城まで来ると、観覧者などが動いていて、自動車道を走っていたのでは、何もなかったかのように見える。

ここまで来たら、多賀城の津波で浸水し、奥様は命からがら逃げ延びたヒロ坊のところにでも寄ってみようか。
そう思っているうちに、仙台北港ICを通り過ぎてしまった・・・・・
そういう時は、次で降りりゃいいわけで、見聞の範囲が広まるのである。
と言う訳で、次の利府しらかし台というICで降りるのである。

どでかい宮城スタジアムの脇を通り、多賀城方面に向かうのであるが、生憎の曇りで太陽が見えない。どっちが南で東なのか分からんのである。
初めての土地だし、町場の車運転はビビるのである。
カーナビはあるが、ちょっといじくっている余裕がない。

グーグルの衛星写真の脳内データだけでヒロ坊の家を目指そうと言うのが無茶と言えば無茶なのであるが、とりあえず走る。

海から遠い地域は、今では全く平穏と言う感じだ。
それでも時々、瓦屋根にブルーシートも見える。

田んぼの中を走り、記憶にある雰囲気の場所に出る・・・・
この辺だ、と思いながら進むと川の土手で行き止まり・・・・
車を止め、川の土手に上がると、激しく水が流れた形跡がある。
ここまで津波は来ていたのだろう。
しかし、ヒロ坊の家が分からない。
ここで、携帯を取出し住所を調べカーナビに入力、お~すげ~出た。
あと直線で600メートルだ・・・・・

いきなりヒロ坊家を訪ねた。
この間のキャンプ以来一週間も立っていない。
快く招き入れられ、暫く地震や津波についてお話を頂いた。
子供たちはしっかり聞いている。

ヒロ坊家の愛犬。津波で逝ってしまった愛犬の写真を見ると、目に涙を浮かべている。昨年まで飼っていた我が家の犬にそっくりの犬だった。

お昼ご飯(寿司)を頂き、家族総出で色々案内してもらう。
津波被害の真っただ中のお寿司屋さんだが、復興してる。なんか嬉しい。

爆発炎上のコンビナート。
壁や窓に残る津波の跡。

七ヶ浜という方面に向かう。
ここは、リンクで紹介しているマロ7さんの地元ではないかと思うのだが。

松が浜と言うのだろうか、小さな港。岬の先には荒崎稲荷神社と言うのがある。
4月6日のグーグルアースの写真で見れば、壊れた家やコンテナ、船などが沢山見えるが、今は方付けられて、知らぬ俺たちが見れば何事もなかったかのようだ。


釣りをする人々がいて、平和だ。


それでも、倒れた電柱や、木の高い所に絡みつく物、トンネルの脇に立ってる船・・・・



遠くに黒い山が見える。
家やらの残骸で出来た山だと・・・・・

海の音に、チビ助は「おっかね~」と真顔だ。
そう、海は怖い、しかし豊かであり、そして母でもある。
そして尚、世界とつながっている。




菖浦田浜と言うところ。
言葉もない。
今は瓦礫などが片づけられ、雨に洗われた建物の基礎だけが残る。
直後の惨憺たる光景を思いやれば・・・・







子供たちよ、よく見ておくんだ。忘れてはいかんぞ。






道路沿いに一軒だけ、ガソリンスタンドがやっていた。



荒浜の辺りの田んぼ道を通る。

雑草が黄金色になびく。
草が生い茂り、片づけきれない瓦礫を隠している。
草を刈り払い、瓦礫を集める作業をしている。
草が山に積み上げられて、土をどかすのだろうか・・・・

気の遠くなるような作業だ。

こんな光景が千葉から岩手、青森まで続いているのだろう。
福島は、東電原発で、今でも手が付けられない地域も多いのだろう。

心が痛む。


失われた命に合掌。




最後に、ヒロ坊、家族のみなさん、ありがとう。
ありがとう
2011.10.16:kuma仙人:[ぼやき・つぶやき]

あらら、こちらに来たんだ

そう、マロ7地元の地元ですよ。
松ヶ浜は特別名称地域「松島」最南端です。ここから宮城の南端まで数十㎞は荒磯がなく砂浜なんですよ。
岬の先の荒崎稲荷神社は藩祖伊達政宗公の仮御殿があったことから御殿崎といいます。この日は遠く牡鹿半島まで見えていましたね。
土曜日は山行かずで自宅待機でした。お会いできず、惜しかったですなぁ。荒崎稲荷の崖には松の大木があったんですが見事になぎ倒されました。
チビ助とジコ姉ちゃんへ…被災地を見て色々と感じるものがあったでしょう。仲間にもこの状況を教えてくださいね。
ガソリンスタンドは屋根の下まで津波がきました.
マロ7の自宅はこの御殿崎から数百m北の県道沿いなんです。
そういえば、その昔に(50年近く前のこと)お宅の方の酒造会社が我が部落に別荘を持っていたのを思い出しましたねぇ。
2011.10.16:マロ7:[編集/削除]

マロ7さま

マロ7さんの家の前を通たかもしれませんね。
やや荒れた波、大きな海を滅多に見る事がない子供たちは、海の音や波の飛沫を見て、「おっかね~行くべ~、おっかね~」と連発でした。
菖浦田浜に残ったガソリンスタンドと、排水ポンプの建物を見て、その屋根に残る傷に気が付き、津波の高さに唖然とするのです。
ここより高く強力な津波が押し寄せた地域もある・・・・・。

海に向かい 思考を停止していると
「我より先に逝く不幸は許せど、残りて悲しみを追う身の辛さよ」
という、谷村新司の群青の詩がこみ上げた。

子供たちには、長い人生のほんのひと時だけれど、遊園地にも連れて行かないオヤジの人生、きっといつか分かってくれるだろうな、と思います。

マロ7さんとは、いつかお会いできる日を楽しみにしております。
2011.10.17:kuma仙人:[編集/削除]

俺も

日曜日の仕事待機で自宅に居たでよお。
到着時間に合わせて行けたのに、残念…
自分の実家(南相馬)方面も見せたいが、
さすがに子供たちにはキツイ場所だから無理だね。

マロ7さんと一緒に塩竈のおいしい店で一杯やれる時があれば、
楽しそうだよ、いつか実現させましょう!!
2011.10.17:タッシー:[編集/削除]

タッシーあにさま

土曜日の朝いつものように、突然思いついてしまったものだから。
天気とかの関係で、なかなか予定作って実行と言う訳にいかなくて・・・、ゴメン。
今度は、ノンビリ行くよ(笑)
仙台方面ののんびりしたキャンプ場で、海山の幸で楽しみたいね~。俺らのキャンプはグルメ&アルコール天幕酒池肉林でなければならないのだ(笑)
マロさんはじめ、色んな人と出会えるといいなぁ(*^_^*)
2011.10.18:kuma仙人:[編集/削除]

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