朝日新聞の、「記者有論」というコーナーで、大槌町の選挙について触れていた。
新しい町長の誕生に、リーダーを迎えた町は、その復興の速度を早める事となればいいのである。
大槌町の事ではないのだが、そのコラムの中に、「選挙での名前の連呼は悪評である」と書いてあった。
まあ、全国的に悪評と言う事を言っているのであろうと理解した。
そして、我が町の選挙時の事を克明に思い出し、笑ってしまったのである。
以前にも書いたが、「名前の連呼などうるさい。隣近所から立候補するんだから、いちいち俺んちの前で、自分の名前をでかい声で言わなくても分かってるから言うな。うるさくてかなわん。」
という旨の抗議をした訳である。
次の日、選挙基地から選挙カーが出て、俺んちまで80メートル。
しっかり大騒ぎしている。
で、俺の姿が見えると、俺を指さし、スピーカーを切った。
家を通り越した所から、また名前の連呼なりの大音量が始まった訳である。
まあ、大人なら「迷惑かけてすまんな。」とか、「選挙だから理解してくれ。」とかありそうなものだが、そういう事は全くなく。
俺を指さし、あいつだ、あいつがうるさいんだ。苦情言ってるんだ、という態度であった。
あのさ、やっぱり、お騒がせしてすまん・・・と言うのが普通じゃないのかね。
ちり紙交換だって、ちゃんとお騒がせして申し訳ないと言ってる。
選挙に出る人間が、苦情言った奴が悪いとか、みんなに迷惑かけて申し訳ないとかの思いもなしに・・・
自分の行いは正しいとか、誤りがないという、他人に対し配慮がないと言うか、正しさの押し付けみたいで、それで行政は大丈夫のかな。
大丈夫な訳ないだろうな。
数多の議員候補が、みんなでかい音を立てるが、他地域から回ってくるので、立候補していると言う事の表明の為、これは仕方がないと理解している。
また、その時であっても、一言二言交わし、「騒がして申し訳ないなぁ、応援よろしくなぁ」と言う候補もいる。
当選の暁には、あいさつ回りして、言葉を交わしたり、お茶飲んだりする議員もいる。
それぞれの理由は良く理解しているつもりである。
が、近所の議員の行為は理解できないのである。
町議選 連呼に苦情 言うにつけ
言ったが悪いと 指をさし
・・・・・・俳人・大林 熊茶・・・・
久しぶりにコメントさせていただきます。
高畠町の今回の町議会議員選挙の当選者を見てみると、
JAのOBや農業に携わっている方々が大部分を占めている、
この人たちを否定しているわけでわないが、
余りにもかたより過ぎでは?
この議員で本当に町の行政をチェックしたり出来るのか
甚だ心配だ(町の職員の方が一枚も二枚も上手)
又、議会での質問が同じものばかりにならなければいいが
議員定数思い切って10人にしてみてはどうかと思いたくなる。
選挙中の選挙カー禁止、立会演説会や広報誌で十分です。
それと、候補者に適正試験や行政に対する理解度を知る為に
筆記試験を取り入れて欲しいものです。
でもなぁ、優秀な人たちは、議員に立候補しないんだよなぁ
仕事で忙しいから、昔からだけどね、
ここチェックしている議員さんもいるかもしれないから一言
「片手間で議員の仕事しないでくれる、血税もらっているんだから。」
嗚呼、スッキリした、
kuma仙人さん愚痴っちゃってゴメンね。
JAのOBや農業に携わっている方々が大部分を占めている、
この人たちを否定しているわけでわないが、
余りにもかたより過ぎでは?
この議員で本当に町の行政をチェックしたり出来るのか
甚だ心配だ(町の職員の方が一枚も二枚も上手)
又、議会での質問が同じものばかりにならなければいいが
議員定数思い切って10人にしてみてはどうかと思いたくなる。
選挙中の選挙カー禁止、立会演説会や広報誌で十分です。
それと、候補者に適正試験や行政に対する理解度を知る為に
筆記試験を取り入れて欲しいものです。
でもなぁ、優秀な人たちは、議員に立候補しないんだよなぁ
仕事で忙しいから、昔からだけどね、
ここチェックしている議員さんもいるかもしれないから一言
「片手間で議員の仕事しないでくれる、血税もらっているんだから。」
嗚呼、スッキリした、
kuma仙人さん愚痴っちゃってゴメンね。
御免町与力さま
お久しぶりです。
御免町与力さまの、愚痴。
スッキリ聞けますよ。切れ味の良い太刀で、バサッと言ってますね。読ませて頂いていて、気分が良い。
公の部分で、こういった愚痴?というか、苦言が封殺されていると思います。
それは、田舎での、嫌な事があっても言えば波風が立ち、隣近所の付き合いがぎこちなくなるという恐れの為であり、また、地域を守る手段であったかもしれません。
しかし、それが政治にまで適用されたならば、政治は機能しなくなります。政治と隣付き合いは違う訳です。
政治にあっては、常に民衆からの目にさらされ、緊張感を持った中で行動するが望ましいと思います。
近所の議員が、生徒の登校拒否を「あそこの家の家系だからなぁ」などとふざけた事を言ったら、只今の産経大臣宜しく、批判を受け辞任に追い込まれるのが当然でしょうが、そういう事を言っても、言われた家族でさえ、隣近所の崩壊を恐れ、それを公表しない。そんな事実もあります。
片手間で、それも偉いのだと勘違いしている訳ですな。自分の田んぼに心血注いで血税で喰ってる訳ですよ。
そういった批判や、指摘が、公に飛び交っていい訳です。
それが、公職ですからね。
そして、緊張感を持ち、慎重に、しかし確実な行政チェックという仕事を公僕として、市民の代表として、代弁者として行うが理想でしょう。
自分の言いたいことを言うために、地域での絶対的発言力を得るために議員になったのでは、本末転倒でありますな。
また、各議員とも、選挙公報には似通った内容の思案を掲載してありました。
産業振興。教育。農業。住みよいまち。
みんな同じで笑ってしまいました。
教育問題やるなら、教育委員に立候補した方が良いでしょうに・・・・。
定数はそうですね、各地区2名くらいの12名くらいかなと思っているんですが・・。いづれ、現数では多すぎと感じる町民が大多数。町民の代弁者がそれに触れないと言うのもおかしな話ですな。
こういった指摘や意見が、市井に流通することが市政をかえる第一歩でしょうな。
叩かれても、恐れず続ける事。
頑張りましょう。
御免町与力さまの、愚痴。
スッキリ聞けますよ。切れ味の良い太刀で、バサッと言ってますね。読ませて頂いていて、気分が良い。
公の部分で、こういった愚痴?というか、苦言が封殺されていると思います。
それは、田舎での、嫌な事があっても言えば波風が立ち、隣近所の付き合いがぎこちなくなるという恐れの為であり、また、地域を守る手段であったかもしれません。
しかし、それが政治にまで適用されたならば、政治は機能しなくなります。政治と隣付き合いは違う訳です。
政治にあっては、常に民衆からの目にさらされ、緊張感を持った中で行動するが望ましいと思います。
近所の議員が、生徒の登校拒否を「あそこの家の家系だからなぁ」などとふざけた事を言ったら、只今の産経大臣宜しく、批判を受け辞任に追い込まれるのが当然でしょうが、そういう事を言っても、言われた家族でさえ、隣近所の崩壊を恐れ、それを公表しない。そんな事実もあります。
片手間で、それも偉いのだと勘違いしている訳ですな。自分の田んぼに心血注いで血税で喰ってる訳ですよ。
そういった批判や、指摘が、公に飛び交っていい訳です。
それが、公職ですからね。
そして、緊張感を持ち、慎重に、しかし確実な行政チェックという仕事を公僕として、市民の代表として、代弁者として行うが理想でしょう。
自分の言いたいことを言うために、地域での絶対的発言力を得るために議員になったのでは、本末転倒でありますな。
また、各議員とも、選挙公報には似通った内容の思案を掲載してありました。
産業振興。教育。農業。住みよいまち。
みんな同じで笑ってしまいました。
教育問題やるなら、教育委員に立候補した方が良いでしょうに・・・・。
定数はそうですね、各地区2名くらいの12名くらいかなと思っているんですが・・。いづれ、現数では多すぎと感じる町民が大多数。町民の代弁者がそれに触れないと言うのもおかしな話ですな。
こういった指摘や意見が、市井に流通することが市政をかえる第一歩でしょうな。
叩かれても、恐れず続ける事。
頑張りましょう。
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