畑など冠水し、野菜などは台無しになってしまうだろう。
しかし、良く降る。
激しく降る。
こういう時は、人間の人格が良く見える。
嘯いた「公共公益」を吹聴して歩く人。
あたかも、地域やみんなの為などと大きな声でふれ回る人。
いつでも、みんなの為に仕事をしているんだ、と言わんばかりの発言の人。
もともと自己中な人。
過去にも書いたが、我田引水と言うやつである。
大雨で用水が氾濫すると、その方々は自分の田畑を守るべく、用水の支流をキパット止める。
どうなるか・・・・本流が溢れるのである。
そして、誰かが甚大な被害を受けるだろう。
有機農業でございます。
田んぼは自然のダムでございます。
などと言う連中が、自然のダムの機能を小さくしている。
声が大きく、自己主張が強い人に多いと俺は見ている。
普段、寡黙に仕事や地区の仕事をこなす方は、そういう事をしない。
地域を眺めれば、おおよそこのような人間観察は的を得ているのであろうと思わずにいられない。
氾濫の折には、当然大元の取水口は閉じるのだが、下流の方流口は全て開けるのが宜しい。
多く流れる水も、分散による地域の平均的な冠水で、一部の甚大な被害の防止に努める。
そういうものではなかろうか?
自分の田んぼの用水に、一滴たりとも余計な水は流さん。という方は、渇水の時、他人はどうでも自分の水田だけは守る・・・という我田引水の方が多い。
必要な時は、他人をおいても自分の田に水を引き。
いらない時は、他人の田畑が冠水しても自分の田から水を排除する。
考えなきゃならん事は、地域の一員であると言う事だろう。
立派な職に就いておる方などは、かなかな強かである。
もう幾日かすると、「地域の為に・・・」などと車にでっかいスピーカーを乗せて、自分の名前を連呼するのだろうが、あの手のは騒音である。
かれこれ十数年の職歴であるが、どこが地域の為なのだろう??
やっぱり、そんな方の田は、やはり余計な水など流れないように、しっかり水を止めてあったものである。
地域とは、我が我がという自己主張では成り立たないだろう。
誰かが止めたり、いじくった水門は触らないでおく。
甚大な被害が起きているなら別だが、
我儘自己中でやっているところをいじくったりすれば、理不尽な喧嘩を買わなければならなくなるからだ。
だからって、言い負かすだけの正義や材料は持っているつもりだが、
大事に至らないと分からんのだろう。
俺たちは、今から少し先を見通せる能力を持つために、小さな頃から勉強しているというのに、自分の利益の為だけに勉強してきたんだ、という奴らには・・・・そんなのほおっておいた方が賢明かな。
だまってそれぞれが行うべきことを他人や地域を想い行うところに、ひとりでに素敵な地域社会が出来上がるのであろう。
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