雨の朝 巡る季節

  • 雨の朝 巡る季節
久しぶりにまとまった雨があった。
夜が明けると、山の緑が劇的な変化を遂げている。

一雨ごとに、山は緑を増す。
一言で言い表せない多くの色が入りまじり、緑の山をなしている。

田んぼの畔も、緑が一気に濃くなった。

ブドウ園のブドウの葉っぱも、赤ちゃんくらいのやつが出始めてきた。

昨日は丸一日かけて、田んぼの肥料を散布した。
妙に暑い一日だった。
そして見慣れない、変化に富んだ雲を眺めた。
雨前には、空が変化し、天気予報なんてなくても変化を感じ取れる。



きっと、地震や火山などの地球の変化には、機械では感じれとれない変化があるのだろうし、人間や動物は、それを感じる能力を持っているのだろうけれど、便利過ぎて、他人や社会に頼りすぎる心が、そんな敏感さを失わせているのかもしれない。



原子力関係では、浜岡原発が、期限付きではあるが停止の方向である。
しかし、しかしである。
不穏な動きはこれから始まる。
更に、日本の民、人類の危機が高まろうと考えるのは俺だけかな??

恐らく、日本中の原発の稼働率が上がるはずである。
今まで休んでいたものまで含め、総稼働が始まる。
女川原発も再稼働に向け調整が進んでいるらしい。
制御しきれぬ危険なものの扱いが増えれば、地震津波によらずとも、危機は高まる。
焦りがそれをさせるなら、ヒューマンエラーによる危機は更に高まる。
無理が祟ると言う事だろうか。

これは、電力供給不足の為ではなく、電力の供給が足りないから原発は必要なのであるという既成事実、或いは嘘の事実形成のために行われるかもしれない。

仮に、日本中の多くの原発が停止し、電力が足りたなら、原発推進の大義名分はなくなるか、力を失う。

あちこちの原発が、福島のあおりを受けて稼働停止になったら、電力会社はたまったものではないからである。
こんな維持費が高いもの、休めていたんでは損しちまう。
そして、推進派の議員さんたちのリベートと立場を危うくしかねない。

地震、津波、人命、そんなもん関係ないね。
儲け儲け、儲けが一番。
儲けや名誉?に目がくらんで、何も見えてないのである。

電気なんか、みんなで節電。勿体ない運動をすりゃ何とかなるだろう。
贅沢やめりゃ、足りるでしょ。
40インチのテレビやめて、20インチにすりゃ、電気代は数分の1。



今、山形県では放射性ヨウ素の漂いこそ減ったが、セシウムだかストロンチュウムだか何だかオドロオドロシイ恐ろしげな物体が降り注いでいる。
微量で身体に影響はないとは言うが、放射能の塵は降り続いているのである。


福島では、タケノコ、コゴミが出荷停止になった。

この辺の農家が言う。
放射能の検査をしてもらったら困る、と。
「出たら、農産物が売れなくなる」と。
それは、出てても、降りかかっていても、売ると言う事だろう。
検査しなければ、出ていないとみなして、そして、「安心、安全」と言って売るのだろう。

「安心、安全」の言葉の安さよ。

売るより前に、家族が住む、家族が食べる安全だろうに。
子供や孫の健康よりも、目先の金か・・・・・。




さあ、影響ないから許すか?
何もできないから許すか?
兎に角許すのか?

俺は許さないね。そんなもん、許さない。
で、何ができるかって?
言うだけである。声に出して言うのである。
提言したい。
表現したい。

原発はいらない!!
そして、そんな集まりがあったら、出かけてみるのである。
何もしないよりはいい。

このままじゃどうせ、いつか、日本人絶滅が起こりうるんだから。
いつか自然に死ぬ前に、死なされそうだから、言わんこっちゃつまらなすぎる。
首に縄を掛けられ、踏み板を外されるのを指をくわえて、笑って待ってはいられない。

地方、国会議員には、出会うたびに苦言を申す。
奴らは、俺たちの声を聴き、市政・国政に反映させるために議員になっているのだから。
決して、当人の名誉でもなく、私利の為でもない。
近所の議員みてりゃぁ、まったく何を勘違いしてるんだか、未だにこんなもんだ。
ママゴト農家して、それで月給貰ってる。
あれなら俺でも出来そうじゃないか(・_・;)





膝を折り、しばらくそこに佇んで
         
     大地に手を当ててみよう

          愛した者たちが眠る大地に

全てを生み出す母なる大地に

         目を閉じて、そのぬくもりを感じ

                    香りを受け取ろう

俺たちは、いきている。
     いつの日か、そこへ還るまで
2011.05.10:kuma仙人:[文学的な考察]

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