わたしは、近くに椅子を出して、煙草を燻らし、麦茶の香りを楽しむ。
遠くには子供たちの賑やかな声が聞こえ、
そして、娘のピアノを弾く音も混じる。
小鳥たちの声に、爽やかな風は新緑の山の香りを伝え、
農夫が耕す土の匂いさえ微かに感じる。
(農夫ながら農夫らしからぬ感想を述べる所が、私と言う農夫らしいのである)
アイヌネギと自家製イノシシベーコンの炒め物
コゴミ。 近所のキンラン(日本酒)ロック
一日を過ごし、久しぶりにライトゲージをつけたギターをつま弾く。
6弦をつま弾けば、握りの板の何と言うのか?音を分ける真鍮の細いたて金具と干渉している。
「昴」と「遠くで汽笛を聞きながら」そして「いちご白書をもう一度」を弾く。
音色はいい。
新しい、最近の弦を張った安物のギターだが、弦が違うせいかなかなかいい音を出す。6弦の干渉がなければ文句はないのだが。
さち 幸 幸福とは、
お金ではない、日々のささやかな暮らしにある。
踏みつけ、ある場所を忘れてしまったあなたの幸せは、あなたの足の下にある。
足下を見よ。
幸せは見上げるものではなく、きっとあなたの足元に存在する。
何処でもなく、あなたの足元なのだ。
きっと、気づかぬうちに踏み歩んでしまう。
しかし、それに気付かなくちゃいけない。切がなくなってしまうから。
そのうち、子供や孫、ひ孫、未来を売り払ってでも幸せを得ない不感症になっちまう。
いろいろ記したかったのだが、弾いた弦の音が
言葉を遠ざけてしまった。
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