2~3日になるだろうか。
充実した日々を送り、俺に何事かあった訳ではないのでありまして。
春は、忙しい。
沈黙の春であろうが、そうでなかろうが、俺が生きている限り春は賑やかである。
そして、しあわせの日々である。
苦しく悲しくとも、春は春であり、どのようなかたちであれ、春が春なのである。
何人もそれを変える事は出来ない。
が、何人も、それを変えうる所業に手を貸してはならないのである。
農薬、環境ホルモン、環境破壊、自然破壊、放射能などの事を言っているのである。
生活に必要な所業であっても、許されない。
俺が、それに加担しているかもしれないが、果たしてどうなのか、その検証が出来ないほどの闇に真実は隠されている。
加担は、許される範囲がいい。全て否定はできないが、許される範囲、再生可能な範囲にありたい。
いかなる状況であっても、しあわせは否定できない。
細やかながら、しあわせの享受に心が満たされる。
子供たちは、「自立」・・・・自己の判断と技量、知識によって自己とそれ以外の生命を維持できる知識を身に付けているという実感に、心が満たされ、そして感動に心が震える。
今日も、パンを焼いていた。小学校5年生になる姉ちゃん。
上の姉ちゃんも、チビ助もそれをしっかり見ていて、たぶん自分の業に出来る事への不安はない。
そのパンと、俺がこしらえたハムが食卓に並ぶ。
・・・・緊急地震速報がPCから流れると、それぞれが自分の管理するライトと立ち位置に待機し、備える。
事が過ぎれば、日常に戻り、そして食卓を囲む。
自給的食卓がそこにある。
自分を自分が守るという心がある。
基本的人間の全てがそこにあるような気がする。
(地震・停電時の我が家。非常電源は家の明かりを充分にまかない、電燈の明かりをより長く維持できるLED電球である。バッテリー1個で相当の時間の点灯が可能である。数日間は大丈夫・・・だと思う)
(地震を感知するインスピレーションに働きかける雲、空である。科学的根拠もないが、20年来地震予知は80%成功している。雲の形態のみによらないところが非科学的であり、第三者に理解不能なのであるが、子供たちにはこの能力を伝授させているところである。右の写真は、地震を受けあちこちにクレバスの入る我が愛する上和田の山である。ちょっと怖い状況である。)
子供たちと、食卓と、明かりと、暖と、火と、食材と・・・。
そして、自分を守り、他者をついでに守れるだけの機転があれば、これは幸せだ。
他に何を望もうか。
家族にあっては、これでよい。
なんだか、満足すぎて、これはたまらん。
しあわせだ。
俺が生まれ育った家族よりも、俺が作用したこの家族が幸せだ。
本当にとうちゃんは倖せだと、心から思う。
この文章を書くにあたり、俺は相当のエネルギーを消費してしまったのである。
今回の震災と津波、放射能にあたり、命を削るほどの苦しみを耐えている方々がおり、
おれが、こんな能天気をここに記すに当たり心苦しいのであるが、それでもあえてそれを記した。
倖せは、与えられるものではなく、自分で掴み取るものなのであろう。
与えられることに慣れてしまうと、つかむこともできなく、失うものが大きすぎる。
kuma仙人のブログは、あえて毎日の幸せを語るブログである。
失う事を恐れ、与えられる事を嫌い、幸せを自分で掴み取る、幸せのブログである。
この数日の出来事を、解説なしに写真にアップしました。
どんな時も、生きていりゃぁ幸せも、苦しみも感じるさ。
生きているからこそ。
・・・、・・・、がんばろう、東日本。
がんばろう、東日本。
そして、今回コメントを頂いた麦チョコさま、タッシー兄貴。
思うところあり、いっぱいお返事、ご返答致したいのですが、脳みその整理が出来なくて、のちのちコメントさせて頂きます。
お越し頂き、つまらん話に付き合って頂いたshidareo兄様、ありがとう。
みんなに感謝します。
俺は、しあわせです。みんなに生かされている、そんな暖かさ、感じています。
ありがとう。
この記事へのコメントはこちら