なんたらもんだか、エプソンのプリンターがいう事を聞かなくなってしまった。
命令の半分印刷して止まったり、動いたり。
昔の機械なら、ひっぱたけばどうにかなったもんだが、最近の機械と言うのはどうも、人間の方が機械に使われているようで、大事に病院にでも送らなければならないのか、プリンターの脳みそをいじくれば治るのだか分からんのである。
良い天気だった。
いろんなことが起こり、あり、一日を整理して考えれば、数日間の出来事であったような、ないような。
しかし、オイラの脳みそCPUおよび、メインメモリ、ハードディスクの調子は万全で、オーバーヒートもフリーズもなく毎日をこなしている。
まあ、毎日の原発関連の動向を注意深く伺い、野良仕事の準備をし、最近やたらと多くなりつつある農業栽培計画とかそんな書類を整理し、友人たちとお茶を飲み世間話をし、料理をする。
基本的に、カミさんが料理担当であるのだが。
国籍に関係なく変わり種の料理を振る舞い、食卓を華やかにするのは俺の役目である。
特に、食材に凝る訳ではないし、おかしな野生動物ばかりを喰らう訳でもない。
普通にある材料を、有効においしく変身させるだけの事であるが、同じ材料を使っても、カミさんとの出来栄えには大きな差が生じるのである。
こんな非常時?には、この特技(?)は大変有効である。
だいたい、材料には凝らない代わりに、あんまり普段普通の人が使わない食材がメインになったりするので、スーパーの空の棚に困ったりはしないのである。
そう、非常時などに対応すると言う事は、備えるという事、備蓄も大事であるが、最大の武器は、知識、その有効利用、有効活用にある。
そういった観点から見ても、料理と言うのはなかなかいい訓練になるのである。
そして、実益を兼ねる。
パンなどは、まあ、道具や設備時間が必要ではあるが、道具がなくとも出来る良い食材である。
粉にイースト菌の餌になる糖分がありゃ、何とかパンになる。
生地を練って発酵させたら、その辺の木の棒にでも巻き付けて、焚火であぶれば、それでとりあえずパンである。
生地を練るきれいな台と、焚火があれば、パンにありつける。
スーパーに並んで、青い顔をして青色吐息で求めなくとも心配ない。
イースト菌が無けりゃ、チャパティでもナンでも、お好み焼き具なしでもなるなぁ。
わりと簡単で、おやつにもなる。平常時でも時々楽しんでいる。
豆も、こんな折、スーパーに売れ残っている。
豆の缶詰でも、生の豆でも。
調理に時間がかかるかもしれんが、何処の異国では主食になっているところもあり、オイラはこの豆が好きである。
一晩水で戻し、次の日トマトジュースとか野菜ジュースと塩と、肉片(牛筋なんか旨い、なけりゃ魚肉ソーセージでもネズミや蛇の肉でもOKである)で煮込めばぁあんたぁ、こりゃ旨いよ。シチューだよ。
野菜も十分だし、栄養価も高い。これを基本に調味料や味付けを工夫すれば、そりゃもう、立派なレストランで供される逸品になりますな。
味噌とワカメとカップと水、焚火があれば鍋なんていらんのですよ。
石ころを焚火で焼き、カップに味噌、ワカメ、水を入れ、焼けた石を投入。
海岸端で平常時行われるワッパ煮の理屈ですな。当然みなさんご存知でしょうが、あえてこんな料理法も紹介させて頂いてます。ただしナイロン製のカップで試したことがないので気をつけなきゃいけませんな。
基本、中に水が入っていると、紙の牛乳パックでも、ペットボトルでも湯が沸かせるんですなぁ。燃えたりしないのですよ。
だから、達人になると、牛乳パックで、単行本を燃料にコメが炊ける(笑)。
これも料理の内ですな。
最近スーパーで売れ残ってる食材を見て、まあ、なにか世の中困ってるのかいな?と、思ってしまう。火も、電気も、水道もある。
なんで登山とかに持ってく食材や、何もしないで食える食材ばかりが売れるのか?
この前も書いたけど、ここでkuma仙人志向の分析の結論を申せば、ちとキツク過激なので言わないでおこう。
確かに現場、被災地は大変な状況で、のんきな事を言ってられない状況にある。
しかし、今、山形を想えば、それほどの状況でなく、それでもカップめんやら、チーズなどの非常食系統、電池やらなにやら、一時は相当な品薄状況。
それでさえ我が家は何の不自由もなく、食に対する危機感もなく。
あったのは、長期的破滅的な影響を発し続ける原発の危機を危惧するのみ。
のんきに料理を楽しんだのである。
物がないほど料理が楽しいのである。
創意工夫が試され、よりサバイバルを快適にするための知恵やヒントが生まれる。
最悪の場合以外は、非常食に頼らない方がいい。
ただ単に、己の創意工夫と生きる能力を削がれるばかりである。
自分で出来ることが大事で、出来た物を利用するのは誰にでも出来るのだから。
kuma仙人志向は、また料理上手志向でもある。
料理上手を目指すとは、また、優れたサバイバル能力を得ると言う事にもつながる。
俺たちが使わなければ、より困った所へ回る。そう願っている。
これは、国際的なエネルギー事情でも食糧事情でも同じところで、今、現在の日本に突然降ってわいた事情ではない。
平常時においても、彼の地を想い、そんなライフスタイルでありたいですね。
以上吾輩、大震災に想うところである。
まあ、なんかつまらん話になってしまったが。
がんばろう東北!! である。
そうかも
虚無の2週間
shidareo兄貴へ
麦チョコさま
楽しい避難生活があっていい。
否定すべき事ではなく、素敵な事だと思います。
何もかも無くしても、何も失ってはいない、と決意できる精神は何ものにも勝る力です。
だいたい、登山とかキャンプとかは非常事態を自主的に作り出している訳だし、テント生活が日常ならそりゃ普通で・・、モンゴルのゲルの民やインディアンのティピーが避難生活しているという訳じゃないし。
心がどこにあるかで、かなり深刻度の度合いも違ってくるんだと思いますね。
食べ物も燃料も寝るところも何もない、家族も失った。
それは悲しい出来事だし、自分の命に直接関わる大問題だけど、俺だったらどうなるか、想像出来るのも人間の強さであろう。
津波で街が全て流れ去った方が避難所で言っていた。
「ホタテいっぱい拾ってきて、コメよりホタテの方が多い炊き込みご飯が出来た。おら~贅沢だぁ。」と笑っていた。
家を無くした方であったが、美しく輝いて見えた。
何でもあるここで、何かを失ったと思いこみ、失うと思いこみ、買いだめをしちゃう。気持ちはわかるが、あのスーパーのカラの棚を見て思う。
俺たちは馬鹿な国民なのかと。
何を教えられ、何を思って生きているのかと。
ただ、失う事だけを恐れているのではないかと・・・。
否定すべき事ではなく、素敵な事だと思います。
何もかも無くしても、何も失ってはいない、と決意できる精神は何ものにも勝る力です。
だいたい、登山とかキャンプとかは非常事態を自主的に作り出している訳だし、テント生活が日常ならそりゃ普通で・・、モンゴルのゲルの民やインディアンのティピーが避難生活しているという訳じゃないし。
心がどこにあるかで、かなり深刻度の度合いも違ってくるんだと思いますね。
食べ物も燃料も寝るところも何もない、家族も失った。
それは悲しい出来事だし、自分の命に直接関わる大問題だけど、俺だったらどうなるか、想像出来るのも人間の強さであろう。
津波で街が全て流れ去った方が避難所で言っていた。
「ホタテいっぱい拾ってきて、コメよりホタテの方が多い炊き込みご飯が出来た。おら~贅沢だぁ。」と笑っていた。
家を無くした方であったが、美しく輝いて見えた。
何でもあるここで、何かを失ったと思いこみ、失うと思いこみ、買いだめをしちゃう。気持ちはわかるが、あのスーパーのカラの棚を見て思う。
俺たちは馬鹿な国民なのかと。
何を教えられ、何を思って生きているのかと。
ただ、失う事だけを恐れているのではないかと・・・。
masterさま
本当に御苦労さまです。
長い時間をかけて、ここで何も出来ていない俺たちの仕事でさえいつか被災された方々の力になるんだろうと信じて、今できる事に専念しております。
神なんて、自分自身がそれ自身であり、自分の中以外に神など存在しない、という無神論でありまして。
私の場合、山の神、田んぼの神と敬うそれは、そのありがたさを忘れてはならんという自分の中へ向けての戒めの存在です。
被災地においても、そこに住み、生き、活動し、話し、そこにいる人自身が神たりえると思いますよ。
生きてさえいれば、悲しみは乗り越え、生きていける。
昨年の今頃のブログに、アンデス山中に墜落した飛行機から奇跡の生還を果たした人たちを考えるというレポートを書いていました。人の肉を喰うという行為を考えていました。時間がありましたら御一読ください。
生きてこそ。
生きていればそれでいい。
そして人間は、負けないのだろう。と。
物事を出来るのと、行うのと、行ってみよう、挑戦してみよう、とありますが、私には不可能の文字はありません。
誰かがやっている事は、必ず出来ると信じています。
得意、不得意もあり、同じゴールにたどり着くのには、人それぞれ必要な時間は異なりますが、いつか出来ます。誰かに及ぶのに100年の年月がかかるかもしれません。でも、出来ない訳ではないのです。出来ないと決める必要はどこにもないのです。
そんな前向きさを、どうか伝えてください。
私たち家族は、そう願っています。
それから、エンジンの件。燃料添加剤やオイル添加剤などを添加すると簡単に相当な回復など望めるかもしれませんよ。
水抜き剤も効果あるかもしれません。
がんばれ東北!!
長い時間をかけて、ここで何も出来ていない俺たちの仕事でさえいつか被災された方々の力になるんだろうと信じて、今できる事に専念しております。
神なんて、自分自身がそれ自身であり、自分の中以外に神など存在しない、という無神論でありまして。
私の場合、山の神、田んぼの神と敬うそれは、そのありがたさを忘れてはならんという自分の中へ向けての戒めの存在です。
被災地においても、そこに住み、生き、活動し、話し、そこにいる人自身が神たりえると思いますよ。
生きてさえいれば、悲しみは乗り越え、生きていける。
昨年の今頃のブログに、アンデス山中に墜落した飛行機から奇跡の生還を果たした人たちを考えるというレポートを書いていました。人の肉を喰うという行為を考えていました。時間がありましたら御一読ください。
生きてこそ。
生きていればそれでいい。
そして人間は、負けないのだろう。と。
物事を出来るのと、行うのと、行ってみよう、挑戦してみよう、とありますが、私には不可能の文字はありません。
誰かがやっている事は、必ず出来ると信じています。
得意、不得意もあり、同じゴールにたどり着くのには、人それぞれ必要な時間は異なりますが、いつか出来ます。誰かに及ぶのに100年の年月がかかるかもしれません。でも、出来ない訳ではないのです。出来ないと決める必要はどこにもないのです。
そんな前向きさを、どうか伝えてください。
私たち家族は、そう願っています。
それから、エンジンの件。燃料添加剤やオイル添加剤などを添加すると簡単に相当な回復など望めるかもしれませんよ。
水抜き剤も効果あるかもしれません。
がんばれ東北!!
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