小人閑居シテ不善ス

朝から一日何の予定もなく、天気も冬型で魚釣りには寒いし釣れそうもなく、野良仕事の準備も出来ず。
たまにドラム缶燻製器の火の塩梅を見ればいいだけの一日の始まりは困る。
脳天気なワタクシの脳は更に活性を失い、な~んにもしない、したくない状態になってくる。
首まで炬燵にささり、うつろな濁り目で、天井の節の模様を何か怪獣やら人の顔やらに結び付け、へんちくりんな妄想に終始するのである。
こういうのを一時的にも生ける屍状態というのであろうか。
普段の活動量、うろつき回りジッとしてられない性分が、こういった時に全く逆な形で襲ってくるのである。
まあ、メリハリと言えばそうではあるのだが。一日中同じ位置に寝ころび動かない状態は身体に悪いのである。

さてさて、この処続いた肉関係の話から離れて、人間観察の話など書いてしまおうか。
なかなかオイラが嫌いなタイプで、クラスや仕事場、近くの住人などに一人二人いるタイプである。

自分至上主義主張タイプ・・・・・
まあ、当たり障りのない人間関係を装いながら、常に自分が優秀である、と、いちいち一言或いは一仕草余計なタイプである。
こういうタイプは、ちょこっとした事でも自分が一番、などと思いこみ口数が多く大小を問わずリーダー的立場に執着する。
PTAや育成会、部落、葬式の時、青年会、子供の父兄の学年行事等などの時、とにかく五月蠅(うるさ)い。
他人が素晴らしい意見など言うものなら、わざわざ挙手を行い「私も前からそう思っていたのであります。」などと言う。だったら、最初から自分で言え、そして行動しろ!アホめ!と思う。
そして「僕に任せて頂ければ謹んでお受け致します。」などと、後先考えず責任の重い役を引き受け、あげく今日は仕事、今日は用事が抜けられない、などなどホザキ、他人に負担を強いるのである。
そのくせ、他人に代行してもらった事は全て忘れ去り、任期最後辺りの反省などでは、さぞ自分は偉かった、良くやった、など自画自賛状態になるのである。
任期中、酒を飲んだり食事したりすることがあったりするが、こういうタイプは、「ここは私が持ちましょう」なんて絶対言わない。ならば割り勘か、というとそうでもなく、会から捻出出来ないか、などと考えているからけつの穴が小さい。
自分で飲み食いしたんだから、自分で払えコラ!である。

また、この手のタイプに共通しているのが、ライバル意識である。
面と向かって意識むき出しと言う訳ではないのであるが、たとえば車である。
値段やクラス、車種など張り合う、というか、「俺の方が優れた車なんだものね、同一車種同一クラスだけどワタクシの方がオプション沢山装備しちゃってるもんね。」状態である。
べつに俺なんかそんな事競っちゃいね~よっつうんだけれど、競ってくるのである。
挙句、手の及ばない車を乗りつけるお方に関しては、「あんな車買って、支払いや維持にどれ程掛るのか、だいたい車ばっか立派でも家はボロじゃないですか、オホホホホ。」
という感じである。
以前、こんな感じの家から頼まれて、トラクターで除雪に行った事がある。
仕事が終わりお茶を頂いている時、そこの奥様が
「あらま、あんな機械買って、そう言うのを『ホイド馬買った』(乞食が金も家も無いのに馬を買った)と言うのでございましょ、オホホホホ。」
とつかされ(ほざかれ)たのには頭にきた。
なら、ホイドに物を頼むホイド以下だろうが、テメーは!!(怒)である。
それを聞いていた御主人も、にこやかに穏やかに笑うばかりであり、俺に仕事を頼み、トラクターの燃料費も発生しているにも関わらずお茶一杯でチャラと言う事らしかったのである。
まあ、いろいろ世話になった人であるから燃料代の請求はしなかったが、乞食って知ってるんならお恵みがあってもよかったのに。

また、葬式等と言うと常に葬儀委員長気取りである。
そして、常に帳場と役場への各書類提出は私が行うという。
近所で葬式が出ると若い衆は集まって、「見てろや、あいつまた役場と帳場って言うぞ」と言って小馬鹿にしているのである。
帳場の記帳と計算、金の扱いは俺でないと、俺に代わる部落の人材は居ないのである、と本気で考えているようであるから恐ろしい。60歳になるくらいの人であるが、今時計算や字が書けないなんて人はいません。
だいたい、口ばっかで細かい事に気が付かないからやりたい事やらせてるんだけれど、大した職の人であるがこんな性格なものであるから、地域で信用を無くすばかりである。


常に他人と自分を比較し、常に自分が優位にある(ひねくれた無為な比較だが)と思っていないと、自分の立ち位置、存在感を認識できないという、不幸な心情によるものだと推察するが、小憎らしい事に、このような人格は遺伝?というか家庭の育ちや教育に起因するものと見えて、一家諸共一族総出でそういった感情及び性格である感じが致す。
よって、そういった人間は家族そのものもまた、お付き合いするにはいちいちイライラさせられる事が多いのである。
おまけに、そんな性格なものだから、人に謝るという事、頭を下げるという事、心よりお礼を述べるという事を知らんのである。
いや、謝る事などで自分を相手より低い位置に貶める事が出来ないと思っているのであろう。
むしろ、素直に謝れる人こそ人の上に立つ人であると、私など思うのであるが、教育や躾とは恐ろしいものである。

自分のあり場所を、他人と比較しなければ持てないというのは不幸な事である。
まったく悲しい人間であり気の毒である。

が、人間社会。常に我儘が通る訳もなく、多くの人に支えられ生きていくのであるから、常に感謝し生きなければならないのであるな~、と、つまらん事をだらだらと書きながら再認識し、気を引き締めるkuma仙人であった。
2011.03.09:kuma仙人:[文学的な考察]

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