まあ、一応若い時はかなりの釣りキチであったのであるが、現在は程々に釣りを楽しむ壮年中年オヤジと言うところかな。
午前中、のんびりと釣りを始める。
オイラは大好きな釣りであっても、早朝に起きだし暗いうちに出掛ける、などと言う事をした事がない。
釣りは、早い時間の方がいいと言って、皆さん早起きをされているが、別に何時釣っても程々に釣れるので、のんびりでいいのだ。
まずは家の裏の辺りの川。
雪の中を、田んぼの白鳥を眺めながらポイントへ向かう。
今日は、時期が早いので、不本意ながら餌釣りである。
本当は毛バリ・・・フライをやりたいのだが・・・。
で、昨日買ってきたブドウ虫をくっつけて釣り始めた。
例年より小さめのサイズが多い。
イワシくらいのから大きいのでも20センチ。
川に降りるのに、一体どういう必要があったか分からん両岸全面コンクリート固めの土手の上り下りに大層な苦労が必要なのである。
写真中央の木の所から、木につかまり、ほぼ滑り落ちるのである。帰りは同じ所から、何とかよじ登るのだ。そして、200メートルごとに落差1メートル~2メートル近い堰堤(たたき)があるので、その度登り降りが必要である。全くひどいものである。魚は降りる事は出来るが、登る事は出来ない状態である。川は寸断されているのだ。
そして、ちょっと川の中の様子が?・・・と思うのだが・・・。
で、途中カミサンから電話、が、スマートフォンに着信があったのだが、節電画面設定だったので、雪の原っぱで見ると真っ黒で何も見えず、どうやって電話に出たら良いのか???であり、参った参った。
友達が来たから帰ってこいよ、という事だったのだが。
午前中はそれまで11匹釣れた。
お昼御飯を食べて、雨が降りそうな中、今度は上流へ。
奥の方は、道路が雪で通行できないので、誰も来ていない。
川は・・・・砂が・・・・。
砂があると、魚の隠れ場所である石の隙間などが埋もれて、結局住めない川になってしまうのであるが。
見た目は美しく感じるが、水中生物には良い状況とは言えない。
それでも2時間程歩いて5匹位、小さいものばかりである。
全くだめである。これじゃ釣りにならない。壊された・・・・。
砂川上流はだめだな、こりゃ。
怒りがこみ上げてくる。
こうなったのには、はっきりした原因があるからだ。
昨年の俺のブログ豪士山を見て頂きたい。
木を切り出した道が出来ているが、それが原因の砂なのである。
山肌を削り、即席の重機の道。仕事が終わった後もそのまま放置である。
砂川と言うくらいで、その水系の山々は、地肌を削れば砂が露出する場所が多いのである。
数十年と言う年月をかけ、戦争頃の皆伐の山から豊かな山へと変化してきたのであるが、50年ほど前に植林した杉の木(町の歩合林)を伐採し、さらにその上の方にある雑木も伐採し搬出した。
まあ、地権者(この場合地区である)の権利であるから言う事はないのだが、その搬出に問題がある。
これは、町の許可を受けた伐採搬出であるはずだから、管理責任の問題として、その責任の所在は町にあると思う。
なぜ木を切りだすのに町が許可を与えているのか、町自信が理解しないで許可を与えるからこういう事が起こるのである。
町は、洪水などや、漁業(この川で釣りを行うものは、遊魚券または漁業協同組合組合員になり、漁業権を得る)生活などに影響ないよう判断したうえで、現場を確認し、許可を与え、作業終了後は不備がないか事後確認をする義務があろう。
でなければ、町が与える許可など必要なかろうに。
誰が切ろうが、なぜ許可が必要なのか。・・・・上記の通りだから許可が必要なのである。
これで、俺たちの漁業権は冒されたのである。
頭にきたので、問題提起しようと思う。
あまりに簡単に考えているんじゃないだろうか、自然と言うものを。
有機農業の町であるとか、自然豊かな町であるとか、そう言った事を標榜するところというのは、本当に関心が深く、みんなでそれを守り受け継ぐ伝統がある地域と、言うだけで全く関心が無く、現状がどうであるか現地の事など全く知らない奴らが無責任に言い放っているという地域と、両極端である。
当地では、後者ではあるまいか、と最近いろんな事柄から思うようになってきた。
関心がないと、川や山がどうなったって平気だろうし、そんな事実も知らんで、平気で「自然豊かな町である」などと町民憲章などに唄ったりするものである。
あたまにくるね。
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