さみだれを介しての前進
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について、ダッフィー様から御意見を頂戴した。
進歩的で、優しさにあふれる内容だったので、
改めてここに記させて頂く。
ダッフィー様には、あらかじめ、万人に閲覧可能な記事であったので、
再び、この場にてその内容を表す事をお許しください。
以下、やり取りである。
感謝です!
最近の仙人様のブログから、怒りなど察しておりました‥。
誰にでも、愚痴ったり、不平不満に思うことあります。
しかし、そう思うことにより、もう一度そう思ってしまったり、イヤなことが起きると思います‥。
多分年下と思われる私がいうのもなんですが、今まで受けた行動に感謝です。
朝早くからの草刈音、消毒の散布音、誰が考えても、非常識!と思われます。
しかし、そういった行動があったからこそ、自分はしないし、そして迷惑だと考えさせて頂けたのです。【ついてる】んです。
都会では、防音なっていて、物音一つきこえないかも‥。
自然の中での、ありがたい音であるとも思われます。
私も身近に、早朝から、農家音?感じます‥。
ついてる、しあわせ、ありがたい、感謝と思ってみるのはどうでしょうか‥。
なかなか難しいけど、私は、そう思う努力をしてる所です‥。
気分を害されたらスイマセン。ただ、そういった考えもあること、感じて頂けたらなぁ‥と。
人生楽しくいきましょ!
2010.09.08:ダッフィー
ダッフィーさま
どうも、どうも
御指摘ありがとうございます。
私の怒りは、私に向けられた、私の感じる騒音等ではないのです。
私は、それを自分の怒りにする事によって、私以外の途方に暮れる隣人であったりを、守りたいのです。
怒りや憎しみは、私個人の所有であるのですが、私以外が受けるそれによる(常識を外した騒音などの)苦痛は、改善されるべきなのだと考えます。
私は耐えればよいのです。
しかし、日常の幸せな時間を失いかけた人があり(息子を失いかけ、その看病に毎日涙を枯らす老夫婦)、その騒音の主はそれを知らない訳ではないのです。
ダッフィーさんのようにそれを感じ、私はそれをしないと宣言できる人だけならば、怒りは発生しないだろうし、ささやかな苦痛はお互いの生活を理解したうえで、耐えられるものになるのでしょう。
私に向けられた苦痛や、罵声は甘んじて受けます。
しかし、私は、私の友や、守られるべき老人、子供、弱者に向けられる理不尽は許したくありません。
それは、赤紙で若者を徴収し、戦地に、死地に送った政治家や思想を許す事が出来ないと似ているのです。
弱者を忘れた、健常者に、幸せな世界がつくれるのだろうか?
私とて、騒音をまき散らす行為をしないではありません。
迷惑をかけず、間違いなく生きれる訳でもありません。
しかし、気遣いは忘れません。
それが、騒音といわれ、耐えがたきものならば、指摘を受け改善すべき事ですし・・・。改善もかなわくば、辞めざるを得ない。
正直、冷や冷やとしながら農業をしています。
誰もが完全ではなく、完璧な不完全であるのです。
互いに、耐えあうのではなく、いい方向に向かうために、意見し合える事が望ましい時代なのではないでしょうか。
黙って耐えるには、職業も、家族体系も、生活スタイルも多様化してしまったのではないのでしょうか。
あなたの御指摘の通りなのですが、
人生楽しく行きたいのですが・・・・
より多くが納得できる策を探したいですね。
そう、土日勤めの人は、PTAでも部落でも何でも、土日の行事が多いから大変なのです。
みなが公平であるを追求するなら、平日の天気の良い、皆が一応に仕事を休まなければならない時に行事を行うのが最も公平な事ではありますまいか?しかし、現実的ではないから、ある一部に負担を求める事になってしまう。
なかなか、むずかしいのですなぁ~
でも、御意見頂き、感謝しております。
ありがとう。
2010.09.08:クマ仙人
以下、ダッフィー様からのメッセージ
ありがとうございます
ありがとうございます。
読んでて、涙がでちゃいました。
ご指摘ととられてしまうのも、しょうがない文だったのでしょうが‥。仙人様を責めてるつもりは、ございません‥。
自分にむけられたからの怒りでなく、周りを考えての怒り!素晴らしい気持ちの仙人様ですね‥。
このような考えの、問題解決、なかなか難しいことですね‥。
考えさせられました。
感謝してます。ありがとうございます。
2010.09.09:kuma仙人:[生活・地域]
若者よ怒れ、と言いたいのですが
………
我慢と思うから不満なのです。譲る気持ちがなければ寛容にはなれません。
寛容でなければ、主義主張の違う者とは相いれる事は出来ません。
他者を守りたいという理想を実現するには、物事を多角的にとらえ多くの考えを受け入れる
とてつもない寛大さと
誤りを断罪出来るゆるぎない厳しさが必要です。
それと同時に、己の感情を制し、自らを律しなければ、他者を守るという理想は願望で終ります。
私事ですが…
父が癌で亡くなる直前
母や父は
見舞いに来て下さる皆様に失礼を承知で面会を断っておりました。
父は毎夜寝床の中で
「同級生があんなに元気で、何故俺だけが…」と悔し涙を流しておりました。
母は帰宅の度に
「見舞いは有り難いが、元気な姿を見せられるのは恨めしい・悔しい」と日々泣いておりました。
祖母にいたっては、知人の娘・息子の話を聞く事を避けてすらおりました。
心配をして下さる方を迷惑と思っているのではないのです。ただただ恨めしかったのです。
私達家族が心身共に弱り果て、そんなマイナスな考えに囚われる時期だったのかもしれません。
ですが、健常な方の自らの考えにのみにより施される親切心は、時として、私達家族のようにされる側には負担になってしまう事があることもご理解下さい。
そして、そういった考え方もあるという事実を知った上で
「他者を守りたい」と断言なさったクマ仙人様が思う正しい行いを柔軟な思考の下に成される事を願います。
不快に思われたなら削除して頂いてかまいません。
寛容でなければ、主義主張の違う者とは相いれる事は出来ません。
他者を守りたいという理想を実現するには、物事を多角的にとらえ多くの考えを受け入れる
とてつもない寛大さと
誤りを断罪出来るゆるぎない厳しさが必要です。
それと同時に、己の感情を制し、自らを律しなければ、他者を守るという理想は願望で終ります。
私事ですが…
父が癌で亡くなる直前
母や父は
見舞いに来て下さる皆様に失礼を承知で面会を断っておりました。
父は毎夜寝床の中で
「同級生があんなに元気で、何故俺だけが…」と悔し涙を流しておりました。
母は帰宅の度に
「見舞いは有り難いが、元気な姿を見せられるのは恨めしい・悔しい」と日々泣いておりました。
祖母にいたっては、知人の娘・息子の話を聞く事を避けてすらおりました。
心配をして下さる方を迷惑と思っているのではないのです。ただただ恨めしかったのです。
私達家族が心身共に弱り果て、そんなマイナスな考えに囚われる時期だったのかもしれません。
ですが、健常な方の自らの考えにのみにより施される親切心は、時として、私達家族のようにされる側には負担になってしまう事があることもご理解下さい。
そして、そういった考え方もあるという事実を知った上で
「他者を守りたい」と断言なさったクマ仙人様が思う正しい行いを柔軟な思考の下に成される事を願います。
不快に思われたなら削除して頂いてかまいません。
麦チョコ様
麦様の言われるその通りなのです。
ここに記すを、実際の人間と人間が顔を突き合わせる現実社会で遠慮なく表現すれば、喧嘩が絶えない。
それぞれの考えを主張し合い譲らなければ、生活が成り立たないほどぎくしゃくする。
隣の老夫婦には、言葉をもって、「支えてほしい」と頼まれています。出来うる限りを協力すると、約束しました。
また、病床で、意識ある時に、なぜ俺だけが・・・と涙した友も「た・の・む」と私に語りかけました。
目が不自由になりかけたお父様は夜間運転が出来ず、我が家に頼りきりです。好きな酒を控え、備えておる状況です。
決して、自分の行為を立派であるとか、こうあるべきと言うか、
独善の自己満足にしてはならない、冷静にその行動を粛々と行えればよい、と考えています。
私が、彼の家の為に何か行い、誰かがそれを行わないから悪い。と言う事ではないと理解しています。
しかし、私はまだまだ弱く、自己意識や理想に、鉄の意志をもって堂々とそれを貫く強さがない。
甘えがあり、俺までもが「なんでおればかり」という、いや、そんなんじゃない、
むしろ「なんで奴ばかり何もしない・・・」、小人である俺の不器量なのです。
この、病の友にかかわる事柄と別にして、議員などという社会的責任ある地位にかかわる御仁には、現実社会の中で、いや、隣組という小さな社会にあって、互いに助け合う小さな世界の中で、独りよがりではうまくないだろうと・・・・。
正直、お前は部落の関係を破壊するのか。と正面切って文句を言いたいところであった。
怒りを、たとえば部落にAED導入をしたいと、今、その活動の下準備へと、エネルギーの流れを変えたところです。
出来た人間ではありません。
人間との関係を最小限に、趣味で山ばかりほっつき歩いていれば、面倒もなにもない、「仙人」になれるだろう。
自己責任のみに、自然を生き抜く「仙人」ならば、山道で倒れ、死にゆく人を見ても、それを、自然のなすがまま眺められよう。
でも、俺は「仙人」にはなれない。「仙人」になりたいけれど、
なれない。人間臭い人間のままである。
苦しむ人をみて、見ぬふりでなんていられない。
同じ時を生き、親しい友死をまじかにして、
来るなって言われたって、見舞いたくなる。
それも人情ではないだろうか。
来るなって言われれば行かないまでの事。
そんな当人や家族の我儘なんて、我儘とも思わず、誰だってその苦しみを察します。いや、想像できる。
そんなの、当たり前だ。
以前、山岳救助隊で、亡くなった方を命からがら、雪山から背負い、家族のもとへ運んだ事がある。
その時は、家族から胸倉をつかまれ、「家の息子を返せ」と言われた。誰も俺は恨まなかったし、家族の気持ちは察するに余りある。
聖なる人間にはなれない。
仙人にもなれない。
いつまでも、我儘な子供のように、それでも前向きに生きようとしながらしか生きられない。
どうか、こんな俺でも、
いつまでも、アドバイス下さいますようお願いします。
ここに記すを、実際の人間と人間が顔を突き合わせる現実社会で遠慮なく表現すれば、喧嘩が絶えない。
それぞれの考えを主張し合い譲らなければ、生活が成り立たないほどぎくしゃくする。
隣の老夫婦には、言葉をもって、「支えてほしい」と頼まれています。出来うる限りを協力すると、約束しました。
また、病床で、意識ある時に、なぜ俺だけが・・・と涙した友も「た・の・む」と私に語りかけました。
目が不自由になりかけたお父様は夜間運転が出来ず、我が家に頼りきりです。好きな酒を控え、備えておる状況です。
決して、自分の行為を立派であるとか、こうあるべきと言うか、
独善の自己満足にしてはならない、冷静にその行動を粛々と行えればよい、と考えています。
私が、彼の家の為に何か行い、誰かがそれを行わないから悪い。と言う事ではないと理解しています。
しかし、私はまだまだ弱く、自己意識や理想に、鉄の意志をもって堂々とそれを貫く強さがない。
甘えがあり、俺までもが「なんでおればかり」という、いや、そんなんじゃない、
むしろ「なんで奴ばかり何もしない・・・」、小人である俺の不器量なのです。
この、病の友にかかわる事柄と別にして、議員などという社会的責任ある地位にかかわる御仁には、現実社会の中で、いや、隣組という小さな社会にあって、互いに助け合う小さな世界の中で、独りよがりではうまくないだろうと・・・・。
正直、お前は部落の関係を破壊するのか。と正面切って文句を言いたいところであった。
怒りを、たとえば部落にAED導入をしたいと、今、その活動の下準備へと、エネルギーの流れを変えたところです。
出来た人間ではありません。
人間との関係を最小限に、趣味で山ばかりほっつき歩いていれば、面倒もなにもない、「仙人」になれるだろう。
自己責任のみに、自然を生き抜く「仙人」ならば、山道で倒れ、死にゆく人を見ても、それを、自然のなすがまま眺められよう。
でも、俺は「仙人」にはなれない。「仙人」になりたいけれど、
なれない。人間臭い人間のままである。
苦しむ人をみて、見ぬふりでなんていられない。
同じ時を生き、親しい友死をまじかにして、
来るなって言われたって、見舞いたくなる。
それも人情ではないだろうか。
来るなって言われれば行かないまでの事。
そんな当人や家族の我儘なんて、我儘とも思わず、誰だってその苦しみを察します。いや、想像できる。
そんなの、当たり前だ。
以前、山岳救助隊で、亡くなった方を命からがら、雪山から背負い、家族のもとへ運んだ事がある。
その時は、家族から胸倉をつかまれ、「家の息子を返せ」と言われた。誰も俺は恨まなかったし、家族の気持ちは察するに余りある。
聖なる人間にはなれない。
仙人にもなれない。
いつまでも、我儘な子供のように、それでも前向きに生きようとしながらしか生きられない。
どうか、こんな俺でも、
いつまでも、アドバイス下さいますようお願いします。
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