植えた訳ではない、つぼすみれも鎮座する。
いや、「つぼすみれ」ではない・・・・何だっけ???
酒精にやられた脳が、また曖昧な出力をしてしまうところであった。
カキツバタも、雨粒に打たれ、薄紫の大きな花弁が垂れ、
いかにも梅雨のころの花という趣を出す。
写真に撮ったのでは表現できないもが、私の部屋の窓の外に
季節のままに息づいている。
雨は良い。
農をしていなければ、僕は啄木のような、自己意識過剰な売れない詩人にでもなっていたろうか。
雨を、
雨に打たれ、
それを、日ごと言葉に変えていくというのも、また 「いとをかし」であろう。
農に追われると、
雨がなく心配し、水を作物にくれ、
雨にたたられると、作物の水没を危惧する。
しかし、たまの雨の日に、ゆっくり休み、
雫一つに思いを巡らせ、
文学チックに命を楽しむのも悪くはない。
山の霧もしっとりと木々にまとわり、
我がデスクの、煙草の煙も梅雨時らしく、
しつこい香りと共に、まとわる。
少しばかり、さみだれのブログのデザインをいじくってみた。
どうだろう。
農に忙殺、或いは命を削り分けしている気分になってしまった。
おとこ気・・・というか、馬鹿正直にというか・・・
いや、単なる馬鹿なのかもしれない。
きっと、生活と再生産可能な価格での農産物の販売をしないと、
家族を維持できそうにない。
なんとも、雨の季節。
能天気な吾輩も、やや沈没気味である。
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