鴨たちは、一生懸命草取りをしていてくれる。
まあ、これは入れた水田ごとに出来不出来はあるが。
昨年は、鴨が稼がないというより、俺が未熟であったため鴨の生理、稲の生理をうまく融合させることができず、稗だらけという状態であった。
鴨はあまり稗をとらないのだが、今年の鴨はよくとってくれる。
これには、幾つかの条件を満たせば鴨がそう動いてくれるらしいのであるが、
専門的であるので、俺の胸にしまっておく。
写真は、稲の脇に浮いた稗が流れている状態のものである。

稲と稗・・・分るだろうか?
僅かに2本の猛禽カラスよけのテグスも見えると思う。
朝に晩に、見回りを怠らず、もちろん餌もあげて、頑張ってもらう。
自然の・・・・自分の所業以外の大地の・・力を借りる時間を感じることができる業である。
紙マルチの無農薬とか工場栽培野菜とかとは、まったく違う農である。
有機栽培という言葉が嫌いである。
言葉は弾丸である。弾丸のようにあなたの心を射るのであるが、
その弾丸を撃ち出す火薬は、心である。
全てとは言わないが、有機栽培・・という言葉に心を感じない。
苦労?というか、土を舐めるように生きる術と、
有機栽培という言葉をステイタスにして、金儲けをしちゃうのと・・・・、
心がない有機栽培であっても、お金儲けはできるんですよね。
結果が、術が有機農業であればそれが儲けにつながる世界になった。
それを有機農業と有機栽培と言えるのである。
もはや、心のない有機栽培・・・金儲けの付加価値のみの有機栽培がある以上、その言葉から心は去ろうとしている。
心のこもった、火薬のたくさん詰まった弾丸を撃ち出そう。
俺の言葉は、弾丸となって
ネットの世界を飛びかえ:・・・
そして、心に届け・・・・・
ここに記す言葉たちよ、どうか我が心を伝え給え・・・・・
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ホストのPCが入院です。
2~3カ月かかりそうだと言われちゃった。
メールとかアドレスとか、あっちのPCにしか入ってないのあるんだが、
やっぱり、常にバックアップは必要だな~
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