どうも、モノを書こうとするとき、そのタイトルを決めるのが難しいと思う。
何やら、重い感じの話が続いたのだが、日中は脳天気なただのオヤジなのである。
車庫のコンクリート工事も何とか終わらせて、あとは固まれば完成である。
昼休みには、かみさんと娘と フキノトウを採ってきた。
今、フキノトウ味噌にすべく、かみさんが調理中である。
で、がらっと話がでんぐり帰るのだが。
命を失うという事は、恐るに足る。
悟りをひらこうが、そうでなかろうが、人・生物として生まれた以上は、
命にかかわる危機を回避すべく身体は反応し、麦様の叔母様のように鉈などで、熊に反撃する事は当然であろう。
また、不治の病の宣告を受け、悲しみに暮れる事も自然な事である。
そして、誰もが死を迎える。
ただ、その事を知っているのかいないのか。なのだと思う。
『やられた怪我は仕方ねぇ、アレ(熊)だってわざとじゃねえんだ。ただ、オラも生活かけて山に登るべ、だから山は生かして返してくれたんだ』・・・・麦チョコ様レスより・・・
何と美しい言葉だろうか。
自然と一体化しているみたい。
地球に生かしてもらってるんだよな 俺たちは。
・・・・・俺の耕作地は100%借地なんだが、
自分の土地を持とうとは考えないんだ。
だって、権利書持ったところで、おれの土地だと思い込んでるだけで、
結局のところ、棺桶の中に持ち込んで、俺と共に去るモノは、
俺の身体と脳みそだけだしね。
土地なんか持っていけないよ。
死んでみて、その時に持っていけるのは、思い出だけなのである・・と
死んでないけど、そういう事ではないかと思うのである。
大地を、俺のものであるなどと思い込み、あまりに人の思い通りにいじくってしまうのは、・・・・いったい何なんだろう?
土地は、生きてる間に ちょこっとばかし地球から借りて耕してるだけなんである。と、20年近く前に家出した時から思ってた。
有機農業(嫌いな言葉だが)をやってるのも、そんな思いがあるからな~。
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