現在ユーストリームにより飯豊町観光協会のIT中継システムの事例発表を中継中です!下記よりお入りください!
こちらからお入りください!
HOME > 記事一覧
忙しい時こそ落ち着いて!
今年もあと残り1ヶ月です!なんて聞くと、うわー早いなー(^。^;)と思って少し焦ってきます。
年末はすることが多くて忙しい訳ですが、それだけでなく、少なくとも周りの雰囲気につられてソワソワしている部分もあるのでは・・・?
12月に入るとみんなどこかせわしなく見えるのは、そういうことかなー?
と、ふと思いました。いかがお過ごしでしょうか!
これからクリスマスもあり、楽しみです!
12月17日には、川西町にサンタクロースがやってきますよ(´∀`*)
プレゼントは何をもらうか決めましたかー?笑)
観光協会も冬本番に向けて動いています!頑張っていきましょう!
年末はすることが多くて忙しい訳ですが、それだけでなく、少なくとも周りの雰囲気につられてソワソワしている部分もあるのでは・・・?
12月に入るとみんなどこかせわしなく見えるのは、そういうことかなー?
と、ふと思いました。いかがお過ごしでしょうか!
これからクリスマスもあり、楽しみです!
12月17日には、川西町にサンタクロースがやってきますよ(´∀`*)
プレゼントは何をもらうか決めましたかー?笑)
観光協会も冬本番に向けて動いています!頑張っていきましょう!
どぶろく新酒発表会でした!!
がまの湯温泉いいで旅館にて、いいでのどぶろく新酒発表会が開催されました!!
今年もいい仕上がりのようで、とても好評でした!杜氏の方が一生懸命に作ったものです。見ているだけでもおいしそうな感じが伝わってきましたー(^。^)
たくさんの方がいらっしゃっていて、会場は盛り上がって楽しい雰囲気につつまれていました(^^♪
なんと【愛】の武将隊も登場しました! 間近だと迫力がすごかったです。。
いいでのどぶろくを今年も楽しみにしていたという方も、まだ飲んだことがないという方も、ぜひどうぞ!(お酒は20才になってから)
12月3日に霞城セントラルで行われるどぶろく物産展にも観光協会は行きますので、そちらもよろしくお願いします!
今年もいい仕上がりのようで、とても好評でした!杜氏の方が一生懸命に作ったものです。見ているだけでもおいしそうな感じが伝わってきましたー(^。^)
たくさんの方がいらっしゃっていて、会場は盛り上がって楽しい雰囲気につつまれていました(^^♪
なんと【愛】の武将隊も登場しました! 間近だと迫力がすごかったです。。
いいでのどぶろくを今年も楽しみにしていたという方も、まだ飲んだことがないという方も、ぜひどうぞ!(お酒は20才になってから)
12月3日に霞城セントラルで行われるどぶろく物産展にも観光協会は行きますので、そちらもよろしくお願いします!
いいでの観光スポット その2
次に調べたのは、中地区にある「天養寺観音堂」通称・中村のお観音様です。
こちらは、散居集落展望台の近くにあり、行ったことがある人も多いかもしれません(n‘∀‘)η
自分も何回か行ったことがあり、雰囲気が好きです(^.^)
観音堂は室町時代後期の建物で、町内最古といわれています。
置賜三十三観音では、「中村観音」といい、四番札所となっていました。
「大同年間(806~809)に飛騨の匠によって一夜で造られた」と言い伝えられているように、とても古い感じのものです。
昭和30年(1955)に県の有形文化財の指定を受けるにあたって、「天養寺観音堂」と公式に命名されました。
昭和22年(1947)の火災で、寺の資料はすべて焼失してしまったそうです・・
なお現在は環境の変化に合わせて、防火設備や鳥虫害の防除にも気が配られていているということです。
今でも、お参りに来る人や、研究者の訪問が多いのですが、寺の維持はとても大変なんだそうですヽ(´Д`;)ノ
この観音様が注目されるようになったのは、第二次大戦後の昭和20年代から。
長年の戦時生活が終わると共に、人々の神仏に対する信仰心も大きく変化してきたんだそうな・・
そこに地元の文化を見つめ直そうという風潮が盛り上がってきたことで、注目されたんですねー (´・ ∀・`)へぇー
地元住民として、いつまでも残していてほしいと強く思います!
こちらは、散居集落展望台の近くにあり、行ったことがある人も多いかもしれません(n‘∀‘)η
自分も何回か行ったことがあり、雰囲気が好きです(^.^)
観音堂は室町時代後期の建物で、町内最古といわれています。
置賜三十三観音では、「中村観音」といい、四番札所となっていました。
「大同年間(806~809)に飛騨の匠によって一夜で造られた」と言い伝えられているように、とても古い感じのものです。
昭和30年(1955)に県の有形文化財の指定を受けるにあたって、「天養寺観音堂」と公式に命名されました。
昭和22年(1947)の火災で、寺の資料はすべて焼失してしまったそうです・・
なお現在は環境の変化に合わせて、防火設備や鳥虫害の防除にも気が配られていているということです。
今でも、お参りに来る人や、研究者の訪問が多いのですが、寺の維持はとても大変なんだそうですヽ(´Д`;)ノ
この観音様が注目されるようになったのは、第二次大戦後の昭和20年代から。
長年の戦時生活が終わると共に、人々の神仏に対する信仰心も大きく変化してきたんだそうな・・
そこに地元の文化を見つめ直そうという風潮が盛り上がってきたことで、注目されたんですねー (´・ ∀・`)へぇー
地元住民として、いつまでも残していてほしいと強く思います!
いいでの観光スポット
こんにちは(^Д^)
飯豊町には、展望台からの散居集落の風景やどんでん平ゆり園などの有名な観光スポットが多くあります!
その中で今回は、ちょっとマイナーなところを選び、「中津川の草木塔」(そうもくとう)について調べてみました!
草木塔は、自然石を利用して「草木塔」または「草木供養塔」と文字が書かれている石塔です。
ルーツは米沢・置賜地方で、この地方だけに見られる独特の文化遺産です。中津川地区では11基あり、そのうち2基が町指定文化財なんです (゚д゚)ォ! 地区内で一番古いもので、側面に文政十三年三月一七日(1830)と建立月日が記されています。
Q「ちょっと、何のために建ってるのよ?」
A「はい、一つのいわれとしては、伐採・採取された樹木や草花を供養するために上杉鷹山公が奨励したといわれています。」
Q「もう一つは?」
A「はい、もう一つは、密教の僧、修験者による草木の成長と成仏を願って建てられたのが始まりともいわれています。」
Q「そんなに草木に感謝してたの~?」
A「ええ。当時の人々の暮らしを思うと、食料をはじめとして、建築、燃料、肥料、家畜の餌から薬に至るまで、生活には山野の草木が欠かせなかったんでしょうね…」
Q「じゃあ、当時の人たちの思いやりが、そのまま形になったということね!」
A「その通りです!」
さらっと紹介してみました。調べてみて、初めて分かることばかりだったので、勉強になりました。背景の歴史が分かると、面白いですね!
飯豊町には、展望台からの散居集落の風景やどんでん平ゆり園などの有名な観光スポットが多くあります!
その中で今回は、ちょっとマイナーなところを選び、「中津川の草木塔」(そうもくとう)について調べてみました!
草木塔は、自然石を利用して「草木塔」または「草木供養塔」と文字が書かれている石塔です。
ルーツは米沢・置賜地方で、この地方だけに見られる独特の文化遺産です。中津川地区では11基あり、そのうち2基が町指定文化財なんです (゚д゚)ォ! 地区内で一番古いもので、側面に文政十三年三月一七日(1830)と建立月日が記されています。
Q「ちょっと、何のために建ってるのよ?」
A「はい、一つのいわれとしては、伐採・採取された樹木や草花を供養するために上杉鷹山公が奨励したといわれています。」
Q「もう一つは?」
A「はい、もう一つは、密教の僧、修験者による草木の成長と成仏を願って建てられたのが始まりともいわれています。」
Q「そんなに草木に感謝してたの~?」
A「ええ。当時の人々の暮らしを思うと、食料をはじめとして、建築、燃料、肥料、家畜の餌から薬に至るまで、生活には山野の草木が欠かせなかったんでしょうね…」
Q「じゃあ、当時の人たちの思いやりが、そのまま形になったということね!」
A「その通りです!」
さらっと紹介してみました。調べてみて、初めて分かることばかりだったので、勉強になりました。背景の歴史が分かると、面白いですね!