11月11日(金)、曇りのち雨。
底冷えする寒い雨降り、高い山では雪になっているかも。
昨夜のY様のお宅で祀っている「お棚さま」は、置賜地方独特の神様だと言われている。
昔の建物の流しや膳部という、今だと台所と呼ぶ場所の高いところに祀られているもので、だいたい秋口から冬にかけて、10月10日・15日、11月10日、12月10日などにお祭りがおこなわれることが多い。
語源が「おとうか様」とか、神棚から「お棚様」と言われるけれどもさだけではない。
特にご神体というようなものもなく、〆縄に奉書紙や半紙で、その家独特の切り紙や折り紙を下げるもので、じつに様々。
それから、ご飯を盛る木の碗があったりすることもある。
昔からの農家で現在も続いているY家の「お棚さま」も、独特の切り紙を修め、黄のお椀にもち米の蒸かしたてを盛りつけてお供えする。
その役目が、法印である私が行うのだ。
久しぶりにうかがったのですっかり忘れていて(^^; ご主人に「あどっつぁまにしてもらわなんねんあよぉ」と言われ、「あぁ、そうだそうだ…」と、台所に行って三つのお椀に順番に盛り付ける。
ご祈祷を終えて、お神酒を戴いてから、その家の男衆だけがいただく。
きれいに食べ切って、そのお椀をそのまま重ねて神棚に仕舞う(洗わない)^^;
あんまりいっぱい盛りつけられないのだ。
万一、その家に泥棒が入った時は、そのお椀を伏せて拝もす。
そうするとm泥棒をした者は怪我をしたり祟りがあると言う、おっかない神様でもあるのだそうだ。
というわけで、お神酒をいただき、勧められるままにお酒をご馳走になって送ってもらって帰宅したのでした。
蒸したもち米でついた餅を帰りに頂いてきた。
おっきくて美味そうだ。
置賜で、昔から受け継がれてきた家の神様、こうして代々受け継がれてきている。
ニンジンのポタージュ^^;
一本10円で買った土人参、茹で過ぎたカリフラワー、玉ねぎを使って相方の㋗が作った。
身体が暖まる優しい味である。
今日は、提出期限に遅れて、一昨日から催促の電話をもらっている原稿書きで、家にこもったきりで一日を終えた。
ししょね、ししょね(--;
さて、2011年11月11日。
東日本大震災発生から8ヶ月になった。
合掌である。
晴れていれば、満月の夜。
季節は秋から冬へ。
寒さはこれから本格化し、雪も降り出す。
主な被災地が東北だけに、これからの寒さ対策が問題になる。
取りあえずできることはなんだろう。
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(107)『身体のいいなり』
内澤旬子:著(朝日新聞出版 2010年12月)
イラストを描きルポするライターであろうと思われるこの著者のエッセイ。
『東方見便録』(斉藤政喜と共著)、『センセイの書斎 イラストルポ「本」のある仕事場』、『世界屠畜紀行』などを過去に読んだことがある。
取材する興味の対象が、エグいという感があり、面白い人だなぁという印象を持っている。
そういう眼で観ると、この作品はエッセイというよりも、自分(の病気)に興味の対象をあてたルポという感じがしてくる。
そのぐらい、乳がんという病気を得てしまったにもかかわらず、客観的な視点を持って自分の身体を観察できる人なのではないか。
それでいて、自分の生活に不安を抱きあたふたするという可笑しさも持ち合わせている。
このエッセイは、ただの闘病記ではない。
我がことを振り返ってみる。
小学校の就学前から小学5年生まで、病弱で入退院を何度もくり返し、自宅療養を含め学校に行かなかった(行けなかった)期間はけっこうな期間であった。
合計すると1年間分ぐらいあったのではないだろうか。
小児リウマチと腎盂炎という病気であったそうだ。
そのくせ、自我は強く、気持ちだけは負けたくないという子どもで、無理をしてはがおってしまっていた。
それから病み抜けたという表現がぴたりとくるように、中学生からそれ以降はとても頑健な少年になり20代から30代は病気知らずで駆け抜けてしまった。
そして40代、いわゆる厄年に生活習慣病というような病(と言えるかどうか)になり、それ以降は定期的にお医者さんに通って高血圧と高脂血症とお付き合いしているという状態だ。
著者の病気は乳がん。
「…顰蹙を買うことを承知で言わせていただくと、人間なんてどうせ死ぬし、ほっとけばいつか病気に罹る可能性の方がずっと高い生き物なのに、なぜみんな致死性の病気のことになると深刻になり、治りたがり、感動したがり、その体験談を読みたがるのかが自分にはよくわからないのだ。そんな体験談なぞ、癌になる前から読みたいと思ったこともない。…」
この文章だけを取り出してみると、不遜な感じがしないわけでない。
しかし、著者自身が子どもの頃から感じていた、アトピー性皮膚炎や腰痛、身体に感じる不調感とかと比べると、治療を行えばちゃんと元の生活に戻ることができる病気だというこという認識があること。
治療とその時期に出会ったヨガを続けることで、不思議なことに発病前より身体の感覚的に健康と感じるようになったこと。
そして、その病気に関わり、病気や医師、そこで出会った人たちとの関わりについて書かれていることは、病という一点だけを見てしまうと見逃してしまう様々なこと、男の私には(たぶん)わからないことが書かれているように思う。
上の引用した部分の文章は半分ぐらい理解できるし、半分ぐらいはよくわからないことがある。
それは女性と男性の違いもあろうかと思うし、今の自分の境遇というものも多分にあるに違いない。
乳がんの第1ステージとは言え、私だったら、別の部位の初期のがんと言われたらやはり相当ショックを受けてしまうかもしれない。
と同じぐらい、子どもの頃、あんなに身体が弱くていたのだから、そのぐらいのこと(重い病気になること)はあっても不思議ではないような気はしている。
それに、50代になったら、いつどんな病気になっても不思議ではないような年齢的な気分みたいなものがある、というのが正直なところである。
テレビの「情熱大陸」に出て、ちょうど一箱古本市に私の仲間たちが出店して著者と出会っていた頃、そのような状態にあったとは、信じられない思いがする。
知的な美しい方だなぁと、書いているものとのギャップを少々感じたものだ。
医者とのコミュニケーションがうまく取れなくて、相手の言葉にマジギレしてしまったというくだりがある。
病に向き合う時、たぶん、諦めていいことと諦めちゃいけないことがあって、病を得てしまったことを受け入れて、それに向き合っていく時に自分の周辺にある有象無象をちゃんと見ている。
不謹慎だと思いながら、共感もしつつ面白く読んでしまったのだ。
イラストを描きルポするライターであろうと思われるこの著者のエッセイ。
『東方見便録』(斉藤政喜と共著)、『センセイの書斎 イラストルポ「本」のある仕事場』、『世界屠畜紀行』などを過去に読んだことがある。
取材する興味の対象が、エグいという感があり、面白い人だなぁという印象を持っている。
そういう眼で観ると、この作品はエッセイというよりも、自分(の病気)に興味の対象をあてたルポという感じがしてくる。
そのぐらい、乳がんという病気を得てしまったにもかかわらず、客観的な視点を持って自分の身体を観察できる人なのではないか。
それでいて、自分の生活に不安を抱きあたふたするという可笑しさも持ち合わせている。
このエッセイは、ただの闘病記ではない。
我がことを振り返ってみる。
小学校の就学前から小学5年生まで、病弱で入退院を何度もくり返し、自宅療養を含め学校に行かなかった(行けなかった)期間はけっこうな期間であった。
合計すると1年間分ぐらいあったのではないだろうか。
小児リウマチと腎盂炎という病気であったそうだ。
そのくせ、自我は強く、気持ちだけは負けたくないという子どもで、無理をしてはがおってしまっていた。
それから病み抜けたという表現がぴたりとくるように、中学生からそれ以降はとても頑健な少年になり20代から30代は病気知らずで駆け抜けてしまった。
そして40代、いわゆる厄年に生活習慣病というような病(と言えるかどうか)になり、それ以降は定期的にお医者さんに通って高血圧と高脂血症とお付き合いしているという状態だ。
著者の病気は乳がん。
「…顰蹙を買うことを承知で言わせていただくと、人間なんてどうせ死ぬし、ほっとけばいつか病気に罹る可能性の方がずっと高い生き物なのに、なぜみんな致死性の病気のことになると深刻になり、治りたがり、感動したがり、その体験談を読みたがるのかが自分にはよくわからないのだ。そんな体験談なぞ、癌になる前から読みたいと思ったこともない。…」
この文章だけを取り出してみると、不遜な感じがしないわけでない。
しかし、著者自身が子どもの頃から感じていた、アトピー性皮膚炎や腰痛、身体に感じる不調感とかと比べると、治療を行えばちゃんと元の生活に戻ることができる病気だというこという認識があること。
治療とその時期に出会ったヨガを続けることで、不思議なことに発病前より身体の感覚的に健康と感じるようになったこと。
そして、その病気に関わり、病気や医師、そこで出会った人たちとの関わりについて書かれていることは、病という一点だけを見てしまうと見逃してしまう様々なこと、男の私には(たぶん)わからないことが書かれているように思う。
上の引用した部分の文章は半分ぐらい理解できるし、半分ぐらいはよくわからないことがある。
それは女性と男性の違いもあろうかと思うし、今の自分の境遇というものも多分にあるに違いない。
乳がんの第1ステージとは言え、私だったら、別の部位の初期のがんと言われたらやはり相当ショックを受けてしまうかもしれない。
と同じぐらい、子どもの頃、あんなに身体が弱くていたのだから、そのぐらいのこと(重い病気になること)はあっても不思議ではないような気はしている。
それに、50代になったら、いつどんな病気になっても不思議ではないような年齢的な気分みたいなものがある、というのが正直なところである。
テレビの「情熱大陸」に出て、ちょうど一箱古本市に私の仲間たちが出店して著者と出会っていた頃、そのような状態にあったとは、信じられない思いがする。
知的な美しい方だなぁと、書いているものとのギャップを少々感じたものだ。
医者とのコミュニケーションがうまく取れなくて、相手の言葉にマジギレしてしまったというくだりがある。
病に向き合う時、たぶん、諦めていいことと諦めちゃいけないことがあって、病を得てしまったことを受け入れて、それに向き合っていく時に自分の周辺にある有象無象をちゃんと見ている。
不謹慎だと思いながら、共感もしつつ面白く読んでしまったのだ。
深まる伸びる
11月10日(木)、晴れ。
朝の冷え込みが厳しい。
けれど、日中は秋晴れ、しかし風が冷たくなっている。
もう、例年なら一度は雪が降っているのだから、それも仕方がない。
午前中は、近所の檀家さんの一周忌の供養のお勤めをお寺で。
一年は早いものですねと、おいでになった親族の方が言われる通り。
当事者の方にとっても、いろんなことがあった一年に違いないのだけれど、「ほんとうにそうですね」と感慨深げにおっしゃる。
今日のお勤めは、夕方6時から、隣の集落のお宅に「お棚様」のお祭りで出かける。
それまで、午後は夕方まで、家の内外をウロウロとしながら、あまりはかどらない仕事ぶり。
ホームセンターに玉縄を買いに行ったら、ずいぶんと品薄になっていた。
たしかに、みんな雪囲いの時期だからそうなのかもしれないけど、去年まではここまでの品薄の状態には当たったことがない。
Jには1分5厘縄が少しあるだけ。
Mには2部縄がこれも残りわずか。
なので、とりあえず二部縄を二玉購入。
縄を作ってるとこが、震災の影響を受けているのだろうかね。
昨日採ったナメコのみそ汁。
うんまいなぁ。
ナメコは遅く出る物の方が味があるような気がする。
でも、わが家のナメコはもう終了かなぁ。
明日は満月。
今夜は、星空のキーンとした空気の中に、ほぼ満月の月が浮かぶ。
明朝も、冷え込みそうである。
朝の冷え込みが厳しい。
けれど、日中は秋晴れ、しかし風が冷たくなっている。
もう、例年なら一度は雪が降っているのだから、それも仕方がない。
午前中は、近所の檀家さんの一周忌の供養のお勤めをお寺で。
一年は早いものですねと、おいでになった親族の方が言われる通り。
当事者の方にとっても、いろんなことがあった一年に違いないのだけれど、「ほんとうにそうですね」と感慨深げにおっしゃる。
今日のお勤めは、夕方6時から、隣の集落のお宅に「お棚様」のお祭りで出かける。
それまで、午後は夕方まで、家の内外をウロウロとしながら、あまりはかどらない仕事ぶり。
ホームセンターに玉縄を買いに行ったら、ずいぶんと品薄になっていた。
たしかに、みんな雪囲いの時期だからそうなのかもしれないけど、去年まではここまでの品薄の状態には当たったことがない。
Jには1分5厘縄が少しあるだけ。
Mには2部縄がこれも残りわずか。
なので、とりあえず二部縄を二玉購入。
縄を作ってるとこが、震災の影響を受けているのだろうかね。
昨日採ったナメコのみそ汁。
うんまいなぁ。
ナメコは遅く出る物の方が味があるような気がする。
でも、わが家のナメコはもう終了かなぁ。
明日は満月。
今夜は、星空のキーンとした空気の中に、ほぼ満月の月が浮かぶ。
明朝も、冷え込みそうである。
通院
福島県立医大の付属病院へ、定期的な通院をしなければいけない母のお供。
眼科は毎回とても混んでいるのだけれど、今月はとりわけものすごい混みようなのだ。通い始めて5年になるのだけれど、今回はびっくり。
来月、23日が祝日で休みになるため、前倒しでしわ寄せになっていると、母が患者さん同士の会話でいうことを聞いたらしい。
時間の過ごし方は、車でちょっと休み、あとは読書の時間と割りきっていられるようになった。
それと、病院の付近の散歩。
ここは、大学の建物や関連する施設があり、ものすごい広さの敷地を要している。
もともと、丘陵の山林地帯を切り開いたところなのだろう。
医大病院前を、現在また造成工事をしていた。
新しい施設ができるようだ。
それにしても、以前の通りと違うのは、道路の草がぼうぼうの状態になっていること。
手が回らない、除染の問題などがあるのだろう。
医大を出たのは18時半過ぎで、もちろん真っ暗である。
行きも帰りも、1時間20分ほどですいすいと車は流れた。
町並みは、落ち着いているように見えるのだけれど、福島市内でも震災に関連した影響はあるのだと、これも母が聞いてきた話を聞きながら帰宅。
19時からの中国武術講座に大幅に遅刻して参加。
韓氏意拳。
小関さんに指導いただいているのだ。
教えていただいているときは、なんとなく解ったような気がするのだが、すぐにまたするりと感覚が逃げていく。
なかなか奥深いものであるようだ。
眼科は毎回とても混んでいるのだけれど、今月はとりわけものすごい混みようなのだ。通い始めて5年になるのだけれど、今回はびっくり。
来月、23日が祝日で休みになるため、前倒しでしわ寄せになっていると、母が患者さん同士の会話でいうことを聞いたらしい。
時間の過ごし方は、車でちょっと休み、あとは読書の時間と割りきっていられるようになった。
それと、病院の付近の散歩。
ここは、大学の建物や関連する施設があり、ものすごい広さの敷地を要している。
もともと、丘陵の山林地帯を切り開いたところなのだろう。
医大病院前を、現在また造成工事をしていた。
新しい施設ができるようだ。
それにしても、以前の通りと違うのは、道路の草がぼうぼうの状態になっていること。
手が回らない、除染の問題などがあるのだろう。
医大を出たのは18時半過ぎで、もちろん真っ暗である。
行きも帰りも、1時間20分ほどですいすいと車は流れた。
町並みは、落ち着いているように見えるのだけれど、福島市内でも震災に関連した影響はあるのだと、これも母が聞いてきた話を聞きながら帰宅。
19時からの中国武術講座に大幅に遅刻して参加。
韓氏意拳。
小関さんに指導いただいているのだ。
教えていただいているときは、なんとなく解ったような気がするのだが、すぐにまたするりと感覚が逃げていく。
なかなか奥深いものであるようだ。
残り柿
11月9日(水)、曇りのち晴れ。
風が冷たくなった。
ちょっと寝坊したものの、やっぱり5時半はまだ暗い。
お勤めをし朝食を食べ、資源ごみを出してきて、あっというまに朝が終わります。
ネゴ達、トッコとタマが締め出しにあってます。
下にいるタマがネズミかモグラを獲って来たらしく、それを咥えて中に入ろうとしたので、私の母に戸を閉められてのだ。
ここのところ毎日のようにネズミやカナキチョやモグラ等を獲ってきては大騒ぎをしていたからだ。
その周りの物を片づけ方をしていて、ちょっと裏のキノコを見に行ったら、ナメコがちょうどいいあんばいに出ていた。
美味そう。
ナメコは、奥手の方が美味いように思う。
明日は、豆腐のみそ汁にして食べよう。
隣の柿の木を見ると、葉っぱが落ちて、残り柿が露わになっている。
そのうち猿が来るだろうなぁ、どうするんだろう。
お昼はお弁当。
「ひじき入り炒飯、鮭とば焼、春雨の中華サラダ、ポテトサラダ」
今日も食べ応え十分で、美味しい。
昼食後、母の通院で福島市へ行くことになっているのだ。
風が冷たくなった。
ちょっと寝坊したものの、やっぱり5時半はまだ暗い。
お勤めをし朝食を食べ、資源ごみを出してきて、あっというまに朝が終わります。
ネゴ達、トッコとタマが締め出しにあってます。
下にいるタマがネズミかモグラを獲って来たらしく、それを咥えて中に入ろうとしたので、私の母に戸を閉められてのだ。
ここのところ毎日のようにネズミやカナキチョやモグラ等を獲ってきては大騒ぎをしていたからだ。
その周りの物を片づけ方をしていて、ちょっと裏のキノコを見に行ったら、ナメコがちょうどいいあんばいに出ていた。
美味そう。
ナメコは、奥手の方が美味いように思う。
明日は、豆腐のみそ汁にして食べよう。
隣の柿の木を見ると、葉っぱが落ちて、残り柿が露わになっている。
そのうち猿が来るだろうなぁ、どうするんだろう。
お昼はお弁当。
「ひじき入り炒飯、鮭とば焼、春雨の中華サラダ、ポテトサラダ」
今日も食べ応え十分で、美味しい。
昼食後、母の通院で福島市へ行くことになっているのだ。