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風邪っぴきながら

  • 風邪っぴきながら
咳が出て喉がちょっと痛いし、鼻水も出る。

日中暑くなってきたものの、夜の空気が冷たくて、ちょっと油断していると風邪をひいてしまう。
私だけでなく、子どもも夜中から朝方になると咳き込んで鼻を詰まらせている。
寝るときに暑くて、上掛けから転がり出て、布団の上に転がっているものだから、しかたがない。

金曜日の登園前に、小児科医院で診てもらうことにした。
仕事の都合で私が連れていくことになった。
総合病院と皮膚科は連れて行ったことがあるものの、小児科医院は初めて。

風邪ひきらしい小学生から生まれて数ヶ月ぐらいの子供まで、それほど広くない待合室の席がちょうど埋まるぐらい待っていた。

お母さんとが一番多くて、おばあちゃんと来ている子、パパとママと一緒の子などがいるし、きょうだい3人と親という組み合わせもいる。
父ちゃんとこどもは、私たちだけみたい。

日中は鼻水は出てるけど咳はほとんど出ない。
元気そうだし、食欲はあるし、熱はないし、待合室でも動きまわるし、どこもわるくないように見える。

とにかく診察を受けて、薬を処方してもらい隣の薬局で薬を受け取り、あとは乳児園に送って行き、保育士の先生にお願をしてきた。

今は風邪ひきさんが多いらしい。

大人も子供も服の脱ぎ着や、窓の開け閉めを時間帯でまめにしないといけない(自戒)。



午後遅く夕方にかけて急に雨が降り出した。
近所のKさんが畑を耕運機で耕しに来て下さっていて、ちょうど作業開始後に雨が強くなってしまった。

わずかばかりの畑、途中でもなんだからと、ずぶぬ濡れになって終わらせていってくれた。

耕された畑の黒い土を見ていると、やる気が出てくる。
遅まきながら畑開始。


娘はお母ちゃんと元気に帰宅。
あれから昼食を食べ、たっぷりと寝てきたようである。

爺さんに買ってもらった犬のぬいぐるみにおいかぶさって遊んでいた。

あれだけ食欲があれば、体力があるから少々の風邪も大丈夫なのだろう。

この日は天気がわるいので、夕刻少しくらいが、日没時間は19時過ぎ。
陽が長い季節はいいなぁ。
2013.06.08:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

(6_6)

  • (6_6)
6月6日、ぞろ目。
何の日?とかあるんだろうか…と、ネットで調べてみる。
「楽器の日」「邦楽の日」「生け花の日」
いずれも、芸事は6歳の6月6日から始めると上達する、という言い伝えから来たものらしい。
その故事はよくわからぬが、そうらしい。

その他にも「梅の日」「ロールケーキの日」「飲み水の日」「ワイパーの日」「補聴器の日」…いっぱいありますね(^^;

周囲にせっかく花が咲いてるから「生け花の日」と覚えておこうかな。


これはアヤメでしょうか。
隣とわが家の境目にある池端に、毎年ちゃんと他の草の中からいつの間にか頭を出して花を見せてくれる。

なにも手をかけてないのに(ないから?!)たくましい。


6日、早朝から地域のお宅を訪ねて「湯殿山」と「水神」と刻んだ石塔の前でお祭りをさせていただいた。

享和2年というのは西暦で1802年。
このあたりには湯殿山参りは盛んに行われていたと思われ、各集落のどこかには「湯殿山」と刻まれた石塔が建っている。

講が組織されており、そうしてお参りがなされてきたものだろう。

湯殿山参りの講中がいつ頃まであったものなのかははっきりしないが、私の父によると、父が小学生の頃まで代表参拝(代参)する人が出発前日にお寺に集まり、身を清めご精進を開始して、それから出かけたそうだ。

おおよそ、戦前まで続いていたのではないかと想像できる。

参拝は信仰であり、なおかつ観光でもあったことだろう。
現代のようにだれもが車を持っていて、気軽に個人で行くことが難しい時代、そういった参拝&観光を、お互いにお金を出し合って代わる代わる行きおおかた皆が行くまで繰り返す。

先日の、ゆーキャンパスステーションでの出羽三山信仰のお話しを聞いた時に、その講のサイクルは約20年。
これで、一世代行き渡り、また次のサイクルに入る、というお話だった。
なかなか上手い運営をしていたものだ。

しかしながら、戦後以降の急速な経済成長や、集団から個の意識への変化で、習慣や娯楽や信仰なども大きく変化してきたことだろう。



さて、娘たちが育っていくこれからの20年はどう変わって行くのだろうね。
20年なら、自分も見届けることができるかもしれない。

右肩上がりの経済成長はバブルがはじけた二十数年前。
そして、一昨年の大震災で、原子力が安全でないことを改めて思い知らされ、エネルギーと地球の環境と私たちの生活を見直さざるを得なくなった。

過ぎてみると20年。
いったいどこがどう変わったのかよくわからない。

約200年以上前に刻まれ建てられた石塔の前で、いろんなことを考えてしまった。

2013.06.07:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

おもいのほか

  • おもいのほか
6月5日、神原の花壇で早朝の花植え作業!
見事に寝過ごしてしまい、欠席(-_-;

こどもの子守りをして、寝かしつけて思いっきり寝てしまった…(言い訳です)。
いやはやゴメンナサイ、なのでした。

その代わりと言ってはなんですが、同日10時半からの八谷地区の花壇の花植えに手伝いに行った。
これは老人クラブにお願をして協力していただいている作業。

家から13kmほど大峠方面に向ったところにある、道端の花壇。
県で設置している花壇の管理を引き受けてからかれこれ20年以上になる。

方法も少しづつ変わって来て、マイロードサポーターという県で行っている道路に関わるサポートをする団体申請をして、お金をもらって花を植え花壇の管理を行うという方法にここのところ落ち着いている。



これをして誰が得するとか、団体が儲けるなどというようなことは一切なくて、地区の心意気、とでもいうところだろうか。

自分たちが住んでいるところをきれいにしておきたい、ということだろう。
そんな思いで担当していた時もやってきたつもり。

青空で暑いぐらいだけれど、山間の八谷の風は心地よい。
日陰では涼しいくらい。



今日は作ってもらったお弁当を、外の空気に当たって食べた。
また一味美味しくなる。

コロッケ丼 弁当?!

この前聴いた、柳家喬太郎さんの落語のまくらを思い出した。
立ち食いソバの、トッピングのコロッケ、のこと。

せっかくコロッケとしてこの世に出たのに、何の因果かまさか蕎麦にトッピングされることになってしまい、さぞかしコロッケも驚き残念なことだろうよ…。

というような噺で、しっかりカラッと油で揚げられて、熱々の作策にソースか醤油をかけて食べられるのがコロッケというものだろうに…(まぁ勝手なはなしですがね)。

なにしろ、キャベツとともに出汁の効いた汁に入れられ、それを卵でとして、そのあとたっぷり汁を吸わされ、それもコロッケの原型がなくなるぐらいたっぷりと。いやはやなんともコロッケには申し訳ない。。

のだけれど、原形をとどめないポテトコロッケ(あまり高級なコロッケでない方が良い)これがじつにご飯と相性が良くて、美味しいんだな!




美味しく満腹した勢いで、午後は畑を下ごしらえ。
今頃やっとなのだ。

今年は近所の人に頼んで機械で耕していただくことにした。
2013.06.06:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

(237)『事物はじまりの物語』

  • (237)『事物はじまりの物語』
吉村昭 著 (ちくまプリマー新書 2005年1月15日発行)

2013.06.06:dentakuji:コメント(0):[お寺の本棚]

生きている不思議

  • 生きている不思議
スコーンと青空。
4日(火)は大荒沢の周囲の緑と空の碧のコントラストが、まさに初夏を感じさせる。

春の大般若会は7月8日と日程を定めた。
私の知る限りでは最も遅い法会になる。

いろいろと申し訳ないのだが、ちゃんと修理を終えてから執行させていただく。



お不動さまの山門を通して、溢れかえる緑を切り取ってみる。

周囲は春ゼミの音が響き渡り、濃い山の香りが漂う。

しばしこの中に身を置いてみる。
なんだか不思議なことだ。
何かを五感を通して感じ、時に他の人と共感し合い生きている…はず。
都会だとかメディアから伝わってくることって、ホントのことなんだろうか?
そうそう、今日は相方が首都圏へ出かけている。

でもいつもと同じ…じゃない…かな。
今、生きていることって不思議だなぁ。

ほんの数分間そんなことを思う。



我が家に戻って周囲を眺める。
溢れかえる緑…。
もう、草を刈らなくっちゃ(^^;

これが現実!
雑草庵でいいって言ったって、やはり限度はあるものね。
また違った意味で自然はすごい。



夜遅く帰ってくるお母ちゃんのことを待ちながら、遊んで、ご飯食べて、お風呂さ入れて、床について…。

娘、いつの間にか滑り台も自分で滑られるようになってる。
おもしゃいおもしゃい。

母ちゃんが帰る前に、やっと眠った。
私の方が先に(^^;
それで諦めて、娘も眠ったようだった。
2013.06.06:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]