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3.11

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3月11日(火) 子雪のち曇り やがて晴れ間

東日本大震災が発生してから、まる3年になった。

前日の雪を除雪し、いつもの通り娘を送ってから、親族の家へ。

一人暮らししているその人の、身の振り方について、行政の方々にお世話になり、良い方法を模索しているのだが、なかなかうまくゆかないのだ。

結局、この日も具体的な進展はなく、ただ次の日程を約束して帰ってきた。

 

米沢にいて、市内でも追悼の式典などが行われており、街中のクルマがいつもより混んでいるように感じる。

けれども、普通に時は流れて、被災地に近い東北でありながら普通の日常ではある。

 

午後は、田沢のもう一つの寺さまの葬儀の伴僧を勤めさせていただいた。

以前の職場の同僚のおばあちゃんであり、そのお宅の方々とは様々な面でご縁があり、そんなことで読んでいただいたものであろう。

家族に見守られ、97歳の大往生とのこと。

ほんとうに、お世話になりました。

 

午後2時46分は、葬儀会場で気中法要を終えたところで迎えた。

 

葬儀から家に戻った午後4時過ぎ、外やお寺を眺めながら、あの時間、初めて体験する大きな地震の恐怖も冷めやらぬまま、家族や地域の方々の安否を確認し、やがてテレビやネット配信される情報を見て、不安な気持ちが増大していた。

 

それから数日、一週間、数週間、様々なことがあり、不安であり戸惑いながら暮していたことが甦って来る。

 

約1年後に生まれた娘はおおきくなり、無邪気にハートのシールなどを張って喜んでいる夕餉。

3年前は、普段着を着たまま数日間寝ていたっけ。

まだまだ片づかない問題や、先行きの見通しのつかない原発問題など、けして忘れてはならないこと。

3月11日は、これからずうっとそういう日であり続けるだろう。

 

 

3月12日(水)  雪のち曇りで 晴れ間もあり  のち小雨

相方が夜熱を出した。

お医者さんに行くのはあまり好きではないらしい。

だが、万一インフルエンザだったら、後期高齢者2人と幼児がいる家庭なので、ちゃんと調べてもらい、療養してもらわないと困るのだ!ときつく言った。

まぁ、本人もしんどいのだと思うのだが、家庭の状況を考慮せねば、それは私とて同じこと。

 

歯医者さんに行き、様々用事をする。

いよいよ、大般若法要まで2週間ちょっと。

お彼岸も真近である。

 

体調の管理をしっかりせねばなりませぬ。

 

 

 

2014.03.20:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

(262)『忘れられない一冊』

  • (262)『忘れられない一冊』

週刊朝日編集部:編 (朝日文庫  2013年9月30日発行)

 

「週刊朝日」に連載されていた、作家をはじめとした各界の著名人の、忘れられない一冊についてのエッセイ集。

千字を少し超えたぐらいの短い文章で、本にまつわるエピソードが書かれています。

文章が短い、好きな本の話しだから、どんどん読み進める、とおもったのですが、これが案外そうではないものですね。一人ひとりの文体が次々変わるのって、リズムが狂っちゃうのかもしれません。

 

作家の車谷長吉さんと高橋順子さんが、それぞれ一冊の本をきっかけに、結婚することになったエピソードはとても興味深い。

 

私には忘れらられない一冊ってかるかな。

ちょいと考えても思いつかないのですね。

ないわけではないのだけれど、エピソードとしては、「だからなんなのさ」というようなことで、さっぱりふくらんで行かないのです。

各界の著名人のようにはいかないさ、そう言ってしまえば簡単ですけども。

 

昭和54年3月に高校を卒業し、東京の私立の大学に入った。

地元の国立大学はあっさり落ちて(落ちる以前の問題だったが、ここは省略)、親は無理して出してくれた。

1年時、一般教養のキャンパスは東京ではなく埼玉県の松伏町というところにあった。

江戸川を渡って向こうにゆくと、キッコーマンなどの醤油の町野田市だった。

松伏には何もないのでアルバイトや買い物は野田に行っていた。

野田にある大手スーパーマーケットでのアルバイトにも慣れ、夏休みが過ぎ、地元の雪国と違う長い秋を過ごしていたある日、町のちょっと大きな本屋で立ち読みをしていた。書店名も覚えていない。

その店のある棚で、一冊の本を見つけた。

『さらば国分寺書店のオババ』というみょうちくりんなタイトルで、湯村輝彦がカバーイラストを書いて、いしいひさいち が本文カットを書いている。

 

著者は 椎名 誠。 「本の雑誌」編集長とあるけどしらない。

思わず買って家に帰って読むと、めっぽう面白い。

昭和54年に第一刷発行のこの本以降、どんどんと椎名の本は出はじめ、その「本の雑誌」も読まずにはおれなくなった。

それから、椎名誠とその仲間、本の雑誌系の本に引き込まれてしまったのだ。

 

そのあげく、似たようなミニコミ誌作りに参加することになるという、考えてみれば忘れられない一冊なのだった。

 

なんだ、よく思い出してみれば、あるんだね、そういう本。

 

2014.03.19:dentakuji:コメント(0):[お寺の本棚]

子守り

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3月9日(日) 晴れ

お天気はよいけれど、冷え込む朝。

昨日の雪を除雪し、7時半にはご供養のお勤めに出かける。

 

本日の主な任務は子守り(^^)相方が出かけてからの1時間半ほど、両親に見ていてもらい、その後は今日は子どもとずうっと一緒。

 

午前中は一生懸命に身体を使って遊ばせて、昼食を食べたら昼寝させ、起きたら、伝国の杜での子どもの音楽の催しものに連れて行き、その後は天気が良ければ、外を散歩して、戻って夕食・・・という計画。

 

午前中は、廊下を走り回り、ミニジャングルジムからジャンプをしたり、でんぐりでんぐりしたりして動き回る。

やがて昼食。

さて、昼寝するかと思ったら、またまた、でんぐりでんぐりで、こちらが眠くなってきてしまった。

 

予定変更し、昼寝なしで14時から始まる子ども音楽会に向う。

で、会場に到着し、駐車場に入ったところで、娘は急激に眠くなって、爆睡(^^;

駐車場も満車状態で、お祭り広場駐車場も遠くでないとあきがなく、また方針変更し、しばらくドライブすることに。

時々、私が一服しながらクルマを走らせて、約1時間半経過。

川西町フレンドリープラザ到着。(真っすぐ普通に走っていたら、山形市・福島市・会津若松市とかに着いてしまう時間ですね)

子どもを起こす(寝過ぎると、夜寝なくなる)。

 

こちらであった「ひょっこりひょうたん島」のイベントも終了しており、図書館の絵本があるコーナーへ行く。

子どもは絵本とそこにいっぱいあるぬいぐるみで大喜び。

 

暗くなる前に帰宅し、夕食づくり。

今夜は父ちゃんのカレーライス。

 

お風呂に入って、本日の任務完了であります。

 

 

 

3月10日(月)  朝方は一時晴れ のち雪から吹雪になる

 

朝は軽く除雪。

相方が風邪をひいたらしい。

午前は、私の父親が眼科の診察のため市立病院への送り迎え。

本日午後も子守りとなる。

今日もなかなか昼寝をしなくて、夕方ようやく眠り遅い昼寝になってしまった。

 

寝ている間に、できる仕事をやっておく。

夕方には境内に30㎝近い雪が積り、除雪車が来たのに合わせて1時間ほど除雪機で除雪を行う。

 

案の定、昼寝が遅くなったため娘の寝つきがわるく、ビデオを見せたりしてようやく寝たのが23時になってしまった。

 

ようやく、一日を終えた。

 

 

 

 

2014.03.18:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

3月の大雪

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3月7日(金) 雪 時々晴れ間 それから吹雪

積雪30~40cm、吹きだまりは50㎝ぐらいあったかも・・・。

三月の雪としては、というより、今冬 一・二を争うような降雪量だと思う。

しかも、雪は重くて、昨日のびじゃ雪が一番下にあるため、除雪機のスロワーはもちろん、ブロワーに雪がくっついて思うように雪が飛ばなくてイライラする。

おまけに、久々の除雪機使用で(約2週間近くお休み)ゆえ、勘が狂ってしまって、土を削り、安全用のシャーピンを切ってしまい、トホホなのだ。

 

お昼頃には雪は落ち着いて、晴れ間が出た。

午後は福祉関係の定例会議。

天気は落ち着き、帰宅してから、朝やり残した分の除雪を終わらせる。

 

夕刻、娘を迎えに行き、帰り道は、大雪のためか、どの道も渋滞を起こしており、通常15分程度のところを倍以上も時間がかかって帰宅になってしまった。

 

相方が風邪をひいたらしく、不調。

今夜は、鍋奉行になって、夕食を担当なのだ。

 

 

 

3月8日(土) 雪 のち少々晴れ間

積雪は30㎝ほどか。

やはり、湿雪のため、降雪量の割合に時間がかかってしまう。

 

本日は、毎月恒例の大荒沢不動堂への登拝日。

昨年のこの日、お堂へ行き、屋根が壊れていて、呆然としてしまったのだ。

今年は、修理を行いペンキも塗ったのだから、大丈夫であろうと思うのだが・・・。

 

先日の家屋倒壊は、じつは、このお堂への入り口に建つっているお宅なのだ。

里に雪が少ない割に、山雪が多いという話も聞こえてきて、ちょっとだけ不安が募る。

 

家屋倒壊のため、国道から参道へ入るとすぐ立ち入り禁止となっており、当然昨日と今日の雪70~80センチほど積もっている雪は除雪されていない。

入口付近にクルマを停めて、スノーシューを履いて、約600mほどの道のりをあるく。

新雪ゆえ、スノーシューでも30㎝ほど沈む。

ゆっくりゆっくり歩いていくほかない。

これでも湿気を含んだ雪なので、このぐらいで済む。

 

少々雪がちらつき、気温も上がらないのだが、身体から汗が流れるのが解る。

母屋が損壊した建物を横目で見ながら、1時間20分かかってようやく到着。

雪が無ければ、10分ほどで着いてしまう道なのだが、雪道は全く別物、体力を消耗する。

 

幸い建物に異常はない。

屋根に積もった雪は、昨夜降った分ぐらいの雪で、順調に落ちている。

ただし、屋根の天辺に、雪の塊が落ちずに残っている。

今までもこういうケースで建物本体が壊れたことはなかった。

ただ、個の塊がドンと落ちた時に、下のトタン屋根の落ち場所がわるいとへこんでしまうことがある。それが唯一の気がかり。

けれども、一人ではどうしようもない。

 

お勤めを終えて、トイレの屋根の雪を下ろし、山門の軒を掘って、帰路に付く。

もう、三時近い時間になってしまっていた。

汗が乾きはじめると寒くなるので、急ぎ足で来た道を戻る。

 

途中で、水道施設の管理会社の人と合う。

彼らも毎日交代で点検などに来るのだが、しばらく除雪車が入らないため、歩いてくることになるという。

 

損壊家屋が道上の崖の上にあることから、二次災害を避けるための処置なのだろうけれど・・・。

除雪は必要なのではなかろうかと思う。

その上で、立ち入り禁止とした方が良いのではなかろうか。

 

往復約2時間、雪を漕いでの歩きは、運動不足の身体にはけっこう堪える。

夕食を食べているうちに眠気が襲ってきてしまった。

とにかく、お堂は無事であり、私の身体もまぁ丈夫であることに感謝なのでありました。

 

 

 

 

 

2014.03.13:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]

春のびじゃ雪

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3月5日(水) 雪のち雨

朝は、5~10cm弱の、湿った雪が降り積もっていた。

私たちは、子どもの頃から「びじゃ雪」と呼んでいる、扱いにくいし濡れるしという雪なのですね。

除雪どうしようか?

融けるだろうということで、放置。

 

昼前から雨になり、雪は融けだした。

午後、交通安全祈願で本堂前に置いた車の跡が、2枚目の写真のような面白い形になっていた。

 

そして、夕刻前に、入田沢の民家が雪で倒壊したとの連絡。

雪を下ろさないでいたところに、湿った雪や雨の重さでダメ押しとなり、住宅が半壊。

幸い、住んでいる方にけがはなく、火事などの事故もなかったのは、不幸中の幸いだった。

 

その地区の担当民生委員の方や地区の方々が連携して事後処理に当たられたようだった。

 

思い起こせば、昨年の3月初めの大雪で、大荒沢のお堂も大きな被害を受けてしまった。

雪の量は多くなくても、侮れないのが今頃の季節。

屋のの軒先が折れたり、スノーダンプや除雪除雪の道具を壊してしまうのもだいたい今頃ですね。

気をつけなければなりません。

 

 

 

3月6日(木)  雪 朝から昼にかけてだんだんと強まる  時々晴れ間あり

私の祖父の命日。

81歳だったかなぁ。

私が小学5年生の冬で、記録的な雪が少ない年だったことを覚えている。

父が兄弟の下の方ゆえ、だいぶ高齢になっていたのではあるけれど、もう今の父もほぼ同じぐらいになってしまった。

約2年ぐらいは床に付いていたようだったから、比べてみると、父の方がまだ元気なように思う。

 

 

今月下旬、28日の「大般若法要」へ向けての準備を始める。

まずは、畳の修繕ということで打ち合わせを行い、石油の給油口の修理を行い、あとはお寺内の片付けの計画を立てて行っていくこととする。

 

夕刻には道路除雪が来るほど雪が積もり、それに合わせて除雪を行った。

どうも、天気予報では3月としては強い寒波がやってきて、大きく天気が崩れそうだ。

 

3月の雪は、ホントに気をつけなくちゃ。

 

2014.03.12:dentakuji:コメント(0):[なあまず日記]