3月11日。
大震災からまる2年経った。
あの年は雪は多かったんだったけか?
思い出そうとしても、今年ほどではなかったような気がするが、はっきり思い出せない。
その夜は雪がちらつき、寒かった。
食事しながら、あの時何してた?
そう尋ねられると「○○に居て、何をしていた」とはっきり答えることができる。
私もそうだ。
米沢ですら震度5という、今まで経験したことがないような大地震で、それほど大きな被害はなかったのに、個々にそのシーンは鮮明に残っている。ショックがいかに大きいかというのは、自分の記憶の残り方にあるような気がする。
まして、震源地に近い場所、直接地震の被害や大津波、原子力発電所の事故などを目の当たりにした方々には、記憶と言うよりももっと身体や心の奥の方まで残っておられることだろう。
恐怖や辛い悲しい記憶は、何かを契機に甦って苦しませられることもあるのではないかと思うのだ。
この日、各地で追悼や慰霊の式典が行われている。
また、復興を願って開催されたイベントもあった。
用があって学校や道の駅などに立ち寄ったら、半旗が掲げられていたり、黙とうを捧げている方々もあった。
それぞれが、様々な形で、この日に思いを寄せている。
また、現実には、住居や仕事の問題など、まだまだ片づかないでいる問題がたくさんある。
それに、故郷に帰りたくても帰れない何十万人の人達がいる。
その一方で、同じ東北といえども、米沢あたりでは風評被害は観光地などにはあるものの、おおよそ普通の生活を送ることができている。
ともすれば、二年前のこともすっかり忘れてしまうことが、無いと言ったらウソになる。
毎日の勤行の中で、亡くなられた方々の多くの霊や、動物や植物の命に対して供養の言葉を添える。
これが、私が常に継続的にできること。
あとは、何らかのカタチで役に立つことがあったら、という気持ちでいることぐらいである。
例えば、福島県内の温泉地を訪れたり、友人に連絡をとって何かできることを聴いたり、被災地から米沢に移り住んでいる人のイベントに参加したり、といったことなのですが。
道の駅田沢 なごみの郷に立ち寄ったら、座敷に年代物と思われるお雛さまやその他諸々の人形が飾られていた。
中には、我が家にもあるような懐かしいものもあり、思わず見入ってしまった。
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2016.12.15 (あらあら)たぶんそうかもしれません
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2016.12.15 (中澤 直美)お大事に(^_-)
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