(120)『花森安治』

  • (120)『花森安治』
文藝別冊 KAWADE夢ムック『花森安治』 美しい「暮し」の創始者
(河出書房新社  2011年12月)


母の実家に行くと「暮しの手帖」がずいぶんと揃っていたものだったが、高校生までの私はそれを積極的に手に取ってみようとはしなかった。

それから、大学に進学し都会で一人暮らしを始めて、書店にある「暮しの手帖」に興味を持ち購入し読むようになった。
1979年(昭和54年)のことだ。

創刊時から一貫して編集長を務めてきた花森安治さんが亡くなられたのはその前年、昭和53年の1月のことだ。

「暮しの手帖」=「花森安治」というカタチから移行気であったと思われる。
しかし、その時の私には、とても目新しい暮しの情報誌と移ったのだ。
それが、以前のこの雑誌を知る人にとって、違うものになっていたとしてもである。

その時期に目新しい家電製品や暮しに関わる商品のテストがとても目新しいものだった。


その花森安治氏の素顔や残してきた作品、彼を知る人々の文章などなど、想像以上の分量が載せてあり、夜更かしのつもりが夜明かしで読むことになってしまった。

氏の経歴を見ていると、応召を受けて中国にわたり、病気で除隊してから、大政翼賛会で働いたというところがどうしても気にかかった。
この組織は、ご存知の通り、太平洋戦争における国民の戦意発揚を目的とした広報活動をしてきた組織だからだ。
そこで、国民にむけた広報ポスターやそこに使われるコピーを書いていたという事実がある。
それは、戦争を知らない私でも、テレビドラマや映画などでよく見聞きしてきた有名な標語(コピー)であった。

そのことについても、この本は関係者の文章ではその状況とかといったことを記している。


戦後は、直接的にはこのことを封印しているのだけれど、この悔恨の思いが、「暮しの手帖」に向かわせたのではないかと思われる。

平易な文章、斬新なアート、徹底した実証、といった花森のこだわりのある暮しに役立つ情報を30年間にわたりだし続けてきたのだ。

私の周囲にも、暮しの手帖のレシピ通りに作った料理はとてもいいというひとがいる。

大量消費をよしとする社会にあってなおかつ、カタログ化しつつある他の雑誌に迎合することなく、暮しに役立ついいこと(いいもの)を送り続けてきた。

ただし、昭和50年代の彼の晩年には、商品テストは相変わらず人気のコーナーで会ったが、受け手の受け止め方が変わってきたことを敏感に感じてはいたらしい。

商品テストは作る側(メーカー)へのメッセージとしては伸してきたものが、消費者側のカタログ的な受け止め方に変わってきたことである。

しかし、彼の没後すでに33年、相変わらず「暮しの手帖」は季刊で発行し続けている。
私も時々購入して呼んでいる。

カリスマ的な花森安治の時代のものと変わってきてはいるのだろうと思うのだが、相変わらず、一人一人の暮らしを大切に、という基本は変わっていないのではないだろうかと感じるのだ。
2011.12.23:dentakuji:[お寺の本棚]

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