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【転職成功物語9】強い意志で道を切り開いたSさんのお話

Sさんは、43歳のエンジニア。
不運にも前職の事業所の閉鎖という事態に遭われました。
転職活動では、ご家族との同居・山形での生活を優先させ、
一旦はキャリアチェンジして転職をされました。

私がお会いしたのは異業種に身を置かれている時。
一旦は「呑み込んだ」エンジニアとしてのモノづくりへのノスタルジーが、
はっきりと現れていらっしゃる状況でした。

一緒に考えさせていただいた結果、
Sさんはご自分の力で、エンジニアの道に戻りたいという心を行動に換えられました。
それも、強い意志に裏打ちされたくじけない行動です。

結果、見事希望に沿った再就職を勝ち取られたケースです。

私どもが紹介差し上げたわけではありません!

Sさん本当に良かったですね!
ご活躍を祈念致します!
 
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私は25年間務めた企業の事業所廃止にともない、転職活動を始めました。
エンジニアとして、あるプロジェクトに没頭している最中の突然の出来事。
”割り切って転職活動を”と、頭では分かっていても、中々割り切れないま
まの転職活動でした。更に追い討ちを掛けるように、世の中は有効求人倍率が
0.3倍台と最悪の状況でした。

そんな中、紹介でキャリアクリエイトさんに出会いました。

初めての原田さんとの面接で、
「スキルは十分だけど、希望の業界は、今、一番厳しいからね。
雇用保険が切れる前に景気が回復すればよいけど…。」でした。

期待とは裏腹に、景気は一向に良くなる気配がありませんでした。
どの企業に応募しても面接どころか書類選考でNGの連発。
まさにどん底。

就職活動を開始して4ヶ月目に、希望業種に拘らずに就職活動をしようと
決断せざるを得ませんでした。
すると、異業種にトライし始めたのが良かったのか、運良くある企業に採用して頂き、
働き始めました。

”働けるって素晴らしい”

と思いながら勤務し、満足感もありました。
試用期間が終わり正社員への切替と同時に役職につき、自分のミッションの
達成のために一心不乱に働きました。
しかし、成果が少しずつ見え始めたのですが、私の中で何かが違うと感じ始
めたのです。

時間をかけてそれは何なのかを考えた結果、前職で、エンジニアとしての
気持ちが完了しないままの転職であったためだと気づきました。
割り切って就職したはずだったのですが・・・。

”もう一度エンジニアに戻って、物作り、設計開発に没頭したい。”

そういう気持ちから、再度転職活動を開始しました。
もちろん、手を抜かずに仕事をしながらです。

同時期に再度、キャリアクリエイトさんにご相談させて頂きました。
そのときに面接して下さったは、佐藤さんでした。
まず、前回の転職活動時期の状況を改めて説明して頂き、背中がゾーッとしたと同時に、
書類選考NGの連発だった理由も理解できました。
本当に厳しく、とんでもない状況だったことを改めて認識しました。

更に今回は本来の希望職種とのミスマッチよるものだと確信できました。
確かにその通りでした。

そこで、まず、職務経歴書について佐藤さんにアドバイス頂いた点を見直し、
とにかく、ダメモトの精神でやりたいと思う仕事、自分が働いて見たいと思う企業様に、
チャレンジし続けました。

今思えば、酷い断られ方もされ、応募しても応募してもNGの回答ばかりで、
そのうち自分を否定されている感覚ですらありました。
本当に苦しく、厳しい時期でした。
しかし、自分のやりたい仕事に就くことを諦めずにトライし続けました。

結果、某企業から面接の機会を与えて頂き、とんとん拍子で内定まで至りました。
本当に長く苦しい期間でしたが、今では良い経験だと感じています。

”転職には目標と強い意志を持つこと。”が大事だと、私はこの転職活動で学びました。

それは佐藤さんのあのアドバイスが無ければ、学び得なかったことですし、
途中で諦めていたかも知れません。

原田さん、佐藤さん、本当にありがとうございました。
2010.12.14:佐藤広一:[転職成功物語]

【転職成功物語8】面接は、企業と求職者のお見合い

30代後半のFさと初めてお会いしたのは10月はじめ。
思いがけないスピードで展開し、11月22日から新しい会社で働き始めた。
Fさんにも経験談を書いてくれるようお願いした。
私たちにとって身に余る文章をいただきました。
改めて、求職者の皆さんに対する影響の大きさを自覚いたしました。
以下、Fさんの文章全文です。

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私の転職物語は18年間勤めてきた会社が、業務の縮小により、3か月後に退職での幕開けでした。
世は不景気の真只中。建設業全体が減退しているのに、民主党の政策の[コンクリートから人へ]で、公共事業の更なる縮小が予想され、RC造やS造などの大きな建築物に携わる企業には、先行きの不安感がありました。
でも住宅建築なら・・・やり方によっては、伸びしろがあるのでは?
それに、住宅の建築や設計には、以前から興味もあるし、直接お客様との笑顔に出会える魅力もある・・・。
住宅の建築をしている企業にターゲットに決め、また、職歴や取得資格から、施工管理を希望の職種に決めました。
資格もあるし、基礎や躯体からの施工管理はないにしろ、木造住宅やRC造などの内外装の工事などの施工管理の経験はあるので、簡単に転職先が見つかると思っていました。

ハローワークで求人を探し、これはという企業に履歴書や職務経歴書の志望動機や自己PRの部分を苦労しながら、やっとの思いで2社に応募しました。
まあ、無資格でも応募可能な地場の企業に応募したので、面接まではいけるなどと、甘い考えでおりましたが、その考えは、2週間後に打ち砕かれました。
その後、希望するような求人がなかったり、条件が合わなかったりで、応募すら出来ない状態が続き、あっという間に2ヶ月が過ぎました。
残り1カ月を目の前に焦りました。条件など気にしないで手当たりしだいに応募するか、それとも、希望先きを自分の職歴に合った企業にするか迷っていました。
そんな中,en転職コンサルタントというサイトを見つけ、人材紹介会社という民間の職業紹介会社の存在をしりました。
しかも求職者は無料!それに相談や履歴書や職務経歴書などの添削やアドバイスなどもしてくれるとのこと、履歴書や職務経歴書の出来に不安があった私だったので、このサービスだけでも利用しようと、サイトにあった3社に求職登録することに決め応募しました。
その後、各紹介会社から連絡があり、初めて紹介会社の方と面談することとなりました。
そこに現れたのが、キャリアクリエイトの原田さんでした。
面談の初めに「経験のみならず、忙しい仕事の合間をぬってコツコツ勉強され着実に資格も取得されたようですね。」と言われ、自分のことを分かってくれた気がして、涙が出そうでした。今までの職歴や悩みなどを相談し、木造住宅の施工管理を、このまま探し続けて良いのか相談しました。
原田さんの答えは・・・「今、企業は即戦力の人材を求めています。我々紹介会社は、企業からお金を頂きますので、企業の求めている人材を紹介するのが役目です。」と言われました。自分でも分かっていたことですが、考えの甘さを痛感させられました。
しかし、原田さんは、私の生活の状況を踏まえた上で、「今、諦めるのは、簡単ですが、今、諦めたら、あなたに悔いが残るはずです、あと1カ月探して駄目な場合、キッパリ諦めて、今の自分の職歴にあった企業を探したらいかがですか?」と言って、住宅の施工管理の仕事を2社、紹介して頂きました。
その後、紹介会社H社と面談に機会を頂き、その時、担当者の方は、
 「企業は、経験がある無資格と経験の無い有資格者でしたら、後者の人を採用した方が利益がある」と仰って、希望の職種を3社紹介して頂きました。
またその後、A社とも面談させて頂きましたが、私の希望に合うような求人は紹介して頂けませんでした。
そして、自分でもハローワークで求人を探し2社に応募しました。
色々な、人材紹介会社との面談や履歴書などを書き直していくうちに、私を雇用して企業が得をすることは、何だろうと考え始めました。

そして、運命の3か月目を過ぎようとする時、まだ、書類選考を通過することが出来ずにいました。やはり私の考えは間違いだったと思い始めた、そんな時キャリアクリエイトの佐藤さんから電話がありました。「ご紹介したい会社があります・・・。」
正直、迷いました・・・紹介して頂ける会社が住宅だけを扱う建築会社ではなかったからです。それに、職種が説明されてもピンとこない・・・単なる住宅の施工管理ではなさそう・・・。
でも、どうせ断るなら紹介して頂きてからでも、出来ると思い紹介して頂くことを決意しました。
そして、無事に書類選考が通り、面接の機会を与えて頂きました。
面接の日が近づくある日、キャリアクリエイトの佐藤さんとの面談の機会がありました。
紹介してくださった、企業の細かな状況や社長の人物像などを、直接お会いしてお聞きしました。そして、最後に「面接は、企業と求職者のお見合いです。」と・・・。
面接の日までに、自分が紹介された会社に貢献できること、会社に入社して自分にプラスになることなどを色々考えました。
そして、少し気付いたのです。自分の良い所は、オールマイティ的な所なのではないのかと・・・。以前の会社は、零細企業で、1人で何役もこなさなければならない様な会社でしたので、施工管理だけではなく、営業的なことや、取引している企業などとの商談など色々なことをしてきました。

面接当日、社長様とお会いし、お話を伺っているうちに、今、私が会社に貢献できる部分と社長が求めている部分とが、一致していることに気付きました。また、私が求めていた仕事も、そこにありました。
面接前に佐藤さんが、「面接は、企業と求職者のお見合いです。」という言葉が、そのとおりだと思いました。
その後、内定の連絡を頂くことが出来ました。
この転職活動をとおして、色々な方にお会いしたり、応募書類の作成などで、自分を真剣に見つめ直し、今まで、気付けなかった、新たな自分に出会うことができました。
キャリアクリエイトの原田さんには、現実の厳しさを教えてもらい、また、希望も与えて頂きました。
キャリアクリエイトの佐藤さんは、今まで気付けなかった自分に出会う、きっかけを与えて頂きました。
皆さんに出会えてなければ、私の転職はどうなっていたか分かりません。
キャリアクリエイトの方々には、本当に感謝しています。
ありがとうございました。
2010.11.24:原田幸雄:[転職成功物語]

【転職成功物語7】初仕事が結婚式

本日2010年11月21日(日)はUさんにとって一生記憶に残る日になるだろう。

Uさんは20代半ばのグローバル人間だ。
奥さんが山形出身、本人は結婚で山形へ。

1年半前に奥さん(当時はフィアンセ)が東京で開催したUターンセミナーに参加申し込みをしてくれて、二人で参加してくれたのが私どもとのご縁の始まり。

なかなか紹介ができなかったのだが、、、

新しい事業を立ち上げたいというある社長からのお話をいただき、Uさんを紹介したら、これがバッチリ。

社長はみずみずしい感性をもったUさんを一目で気に入り、Uさんもリスクはあるが、仕事を任せてくれる社長の方針に共感し、入社が決定した。

私も同席し入社日を調整していたとき、「じゃぁ、入社日は11月21日でいいかな」と社長いうと。
「その日、結婚式なんです」とUさん。
「誰の?」と私。
「私の・・・」
「えーっ!」

そんなことで、入社日の初仕事が結婚式となったUさん。
社長夫妻も参列してくださる。

Uさんに転職成功物語書いてよ、とお願いしたらこんな一文をいただいた。家庭も仕事も大事にがんばれ!

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この度、縁あって米沢の企業様に内定致しました。
原田さんと出会って、1年半くらいでしょうか。
山形に来て3カ月目で転職の内定を頂きました。

東京の企業を退職後、山形に帰ってきてからの転職活動でした。
転職をするのだからこそ、妥協をせずに自分の力を出し切れ、生きがいになるような仕事をしたいと考えていました。

原田さんや、佐藤さんと相談を重ね、自分のやりたいこと等を整理をして頂き、自分にあった企業様を紹介して頂きました。

アルバイトをしながらの転職活動でしたが、やはり考える事をしないと知的体力や仕事の感が薄れていくのでしょうか、原田さんからもオーラがなくなったねといわれ、ビジネス書を読んだり、事業計画を立ててみたりしながら面接への準備を行いました。

プロの方を信じ、任せきれたことが今回の転職の成功を導いたと思っています。
本当に感謝しております。

今後とも宜しくお願い致します。
2010.11.21:原田幸雄:[転職成功物語]

【転職成功物語6】キャリアをもった専業主婦の転職(Hさんの場合)

最近、とっても嬉しいことがありました。
いきいきと輝いた瞳に出会ったからです。

先日、ある食品メーカーに、40代半ばの専業主婦の方をご紹介して内定がでました。
内定通知書をもっていって説明しているときに、瞳から「仕事に燃えてる光線」がばんばん出ていたからです。

さっそく、今の気持ちを書いて欲しいと、転職成功物語の原稿をお願いしました。
いただいた原稿は以下の内容です。またまた嬉しくなっちゃいました。
手前味噌でごめんなさい。

▼Hさんからのメール
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この不景気で、新卒者も就職が困難な状況の中で、
原田社長との出会いによって、
40歳後半に入ってから自分の好きな仕事に就職が内定しました。

20歳前半で初めての仕事に就く際に、自分の適正を知らなかった私は、
むいていない仕事をしていましたので、仕事は全く面白くなく、
仕事とは生活のため稼がないといけないし、有る程度の我慢をして、
がんばるものである感じておりました。

結婚退職してからは、専業主婦のまま、働きたいとは一切思いませんでした。
子供たちの手もはなれた頃に、パートにでも出ようと、働いた先で、
大きな出会いがあり、食品関連の企画開発にたずさわるようになりました。
仕事にのめり込ました。仕事ってこんなにも面白いものなんだ、初めて知りました。
自分が命与えられたなかで、最高に「生きている!」と感じた瞬間でした。

いろいろな問題があり、その仕事を自主退職せざる得ない状況となり、
2年ほどは定職には付きませんでした。
しかし、このままでは、生活も厳しくなるので、再就職しようと動きだしたのですが、
この不景気、女性で40歳後半では、正社員として自分の好きな仕事に付けることは、
ほぼ不可能と諦めかけおりました。

しかし人材登録だけはしておこうと、いろいろな人材会社へメール連絡しました。
原田さんだけが、すぐに連絡を下さって、早速に会って面談して下さったのです。
私の履歴および職歴書から、私にむいている仕事をいろいろと検討下さって、
履歴書の作り方ひとつから丁寧にアドバイスして下さいました。

それでも、すぐに仕事が決まったわけではなく、
やはり不景気に好きな仕事などを望むには、無理かもしれないと、
当面は、アルバイトを2つ始め、慣れてきたところでした。
人生はこんなもんだと思いはじめていました。
アルバイトだが2つも仕事が与えられて、
アルバイトにしてはそれなりの収入も頂戴できて、、
健康で仕事が出来て、これで満足しなくては、と自分に言い聞かせていました。
でも、やはり自分にむいていない仕事は、
心底からは面白いとは思えなかったのは本音です。
体の疲れを感じ、朝早い仕事に夜はすぐに眠くなってしまう毎日でした。

そんな中で、原田さんから、私にあった仕事の話があるが、
聞くだけ、聞いてみないかとのご連絡を頂戴しました。
まずは、忘れられていなかったとすごく感謝でした。
登録された方ひとり1人が適正な仕事に再就職できるように忘れず、
いろいろな案件で検討して下さっていたことに本当に感謝でした。

お話を頂戴して、原田さんと一緒に、その会社へ面談にいって、
すぐに心はきまりました。
一回で決めないようとアドバイスを頂戴しておりましたので、
時間を取って検討しましたが、
原田さんが私に最適な場所を紹介下さっていましたので、
私の仕事スイッチが入ってしまいました。
労働ではなく、仕事です。
この仕事がしたいという思いがつのりました。
新たな仕事分野もあり、課題山積の仕事でしたが、
すぐに本を調達して、勉強も始めています。
体の疲れもふっとび、夜も本が読みたくて、仕方ない状況です。
まさに水を得た魚状態で、あの「生きている!」感覚がよみがえってきたのです。

内定し、正式な入社はもう少し先なのですが、
早く会社のお役に立ちたいと押しかけ社員をやっています。
内定してからも、原田さんは、仕事のアドバイスもして下さり、
ここまでフォローして下さるのかと、驚きと感謝でした。
単に仕事を紹介するだけは無く、人を育て、出会った人が適正な仕事について、
幸せになることを願って下さっている原田さんの仕事の姿勢に、
本当に感謝な思いと共に、教えられることが多くありました。
人生は出会いだと思います。
私は、いい出会いが与えられて、本当にラッキーだったと思います。
ありがとうございました。
2010.03.14:原田幸雄:[転職成功物語]

【転職成功物語5】紹介は出来なかったけれど(Eさんの場合)

20代女性のEさん。
大学卒業後、東京にでて働いてましたが、今年の夏、山形に戻ってこられました。
私とのやり取りから自分の行く道を再考し、地元の役場の公務員試験をうけ、見事合格されました。来年4月からの勤務に備えて、いまは準備といったところのようです。
Eさんから素敵な転職成功物語をいただきました。きっと、参考にしていただけると思います。
どうぞご覧ください。

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私の転職までの道のりは計画的とは言えず、
本当に運が良かったの一言に尽きます。
しかし、原田さんとの出会いから再就職決定までの期間は、
これまでの働き方を振り返ったり、
自分がこれからどのような人生を歩みたいか、など、
今までの中でもっとも、自分自身との対話をした期間でした。

原田さんには、私の希望などを汲み取っていただきながら、
山形県内の企業をご紹介いただきました。
結果的に、ご紹介いただいた企業さんへの転職とはならず、
来春からの町役場へ再就職することとなりましたが、
原田さんとの面談や職務経歴書作成を通しての
数々のアドバイスを面接で活かすことができ、本当に感謝しております。

再就職決定までを、時系列で振り返りたいと思います。

私は高校卒業とともに実家を離れ、
大学卒業後メーカーに就職しました。
Uターンを本格的に考え始めたのは、就職後3年が経った2007年の1月頃でした。
以前から、いずれは実家の近くに戻ってきたい、
実家の近くで子育てがしたいな、と思っていましたが、
祖父母が老いていく姿や、介護をしている親の姿を見て、
早く地元に帰りたい、という思いが強くなっていたのです。
また、会社では、自分の今後の見通しが考えられなくなっていました。
新卒で入社した会社では、3年間販促ツールの制作に従事し、
一通り仕事を任され、信頼も得ていた(と思う)のですが、
このままではツールだけの人になってしまうのでは、
という危惧を抱きながらも、作業に追われる日々が続いていました。
そして、3年目に入った頃から、違う仕事にチャレンジしたいと思い、
異動の希望を出していました。

~2007年2月~
有名な転職サイトを見始めますが、
首都圏の情報に比べ、東北の求人情報があまりに少なく、
若干の衝撃を受けたのもその頃です。
身近にUターン転職者がいないため、
どうやって探したら良いんだろう?と手探りの時期でした。

~2007年3月~
東北地方中心の転職サイトを探している時、
キャリアクリエイトのサイトと出会いました。
私はすぐさま原田さんに連絡し、「Uターンの勘所」を読みました。
“転職のためのUターンか?Uターンのための転職か?”については、
私の場合は、“Uターンのための転職”という考えが強かったのですが、
私のUターン願望が一時の衝動的なもので、
動機が漠然としているような気がしたのも事実です。

その後原田さんと数回メールのやりとりをし、
たまたま帰省することになった時に、
米沢で原田さんとお会いしました。
小学校の校長先生のような方だな~、という印象を受けました。
その時は、女性の場合は年齢が高くなる程Uターン転職が厳しくなる、
(働き口がないこと、都市との賃金格差が大きくなること、など)
というお話をしていただいた覚えがあります。

また、Uターンによって得ること、失うこと、を挙げてみてください、
そして、得ること(メリット)が失うこと(デメリット)を上回れば、
Uターンしても大丈夫でしょう、という話をしていただきました。
仕事の環境、私生活など色々な面で、東京と山形、を秤にかけ、
その時は確信は持てなかったものの、
山形に帰った方がメリットは大きいと思いました。
しかし、頭で考えるのと実際生活環境が変わってからの実感は違うもので、
正直、山形に帰ってきた直後は、
あまりにものんびりした環境に私はなじめるのかと、不安になりました。
(今はもう大丈夫ですが。)

そして、入社から今までの仕事の内容や、
今後どのような業界、職種に就きたいか、というお話をしました。
業界・職種に関しては、漠然としたイメージしか抱いていませんでしたが、
仕事上、お客様にとって身近なツールを作っていながら、
滅多にお客様に接する機会がなくもどかしさを感じていたので、
現職を活かしつつ、お客様との接点に立てる仕事、という希望を持っていました。
また、当時私は2人の後輩の指導もしているというお話もしたところ、
原田さんからは、どんどん下を育てて、新しい仕事にチャレンジして
自分の経験を高めていくように、とアドバイスをいただき、
それが、その後の自分の仕事の仕方を見直す良いきっかけとなりました。

~2007年4月~
履歴書・職務経歴書を作成し始めました。
転職サイトなどで参考例を見つつ作成していたが、
どうまとめてよいのやら、要領を得ず、
やみくもに仕事内容を羅列しただけの、
今振り返るとため息が出るようなものでした。
原田さんには、何度も何度も添削していただきました。
ブラッシュアップするにつれ、自分でも、社内外の人との関わり方や、
今までの経験の中で、自分にとって成長を実感できた出来事は何だったのか?、
仕事を進める中で自分が重要視していることは何か?など、
見過ごしていたポイントが徐々に見えてきて、
原田さんからは、徐々に、私の仕事場での様子が見えてきましたね、
と言っていただけるようになりました。
そして、転職に向けて、自分が出来ること、したいこと、
仕事をする上で譲れないポイントなどが見えてきて、
仕事へ取り組みに変化が起きました。
この時に十分頭を整理することができ、
面接にも大いに役立ちました。

この頃、漠然と「引継ぎ」を意識し始め、
初心者でもわかるツール制作の手順や
スケジュール管理法などをまとめながら、
手がけている仕事重要ポイントや無駄が見えてきた気がします。

~2007年5月~
ゴールデンウィークに再び帰省し、家族と相談し、
会社を辞める決意をします。
そして、上司と面談をしていただき、退職の意向を伝えました。
退職時期については、当時担当していた商品が8月発売であり、
6月末頃に一連の業務が落ち着くことから、7月末と設定しました。
転職先が決まってから退職、というのが普通の流れかもしれませんが、
私の場合は日々の業務が忙しく、今後も多忙な状況が続きそうだったので、
(ただ単に時間の使い方の問題かもしれませんが・・・)
転職活動に時間を割くことができないだろうと思い、
退職後に本腰を入れようと考えていました。

~2007年5、6月頃~
原田さんより、是非紹介したい企業がある、と、2社ご紹介いただきました。
当時私は、新商品関連の業務で、入社以来一番の多忙な日々を過ごしていました。
社内の調整不足や業者とのトラブルなどで思うように仕事が進まず、
常に締切に追いかけられる日々で、
休日も、体力を回復させるのに精一杯といった状況で、
転職について考える暇もなく、ただ時間だけが過ぎていった気がします。
もし、退職するまでに絶対に転職先を決める!という思いがあったら、
この頃相当焦っていたと思いますし、
冷静に考えたり準備する時間がないまま、
ご紹介いただいた企業の方にお会いしていたかもしれません。

~7月上旬~
新商品関連の業務もほぼ収束し、引継ぎを行っている頃、
東京駅の喫茶店で、再び原田さんとお会いしました。
先にご紹介いただいた会社の仕事内容に私は惹かれており、
この時、面談のアポまでとっていただいたのですが、
面談当日、展示会で説明員をしなければならなくなり、
お会いすることができませんでした。
急なキャンセルは業務上の都合でもありましたが、
自分が今後どうしていきたいか、まだ揺れている時期でもあったので、
退職して一旦落ち着いて考えようと思う、と原田さんにお伝えしました。

そしてこの頃、地元の町職員採用試験があることを知ります。
もともと私は公務員志望ではありませんでした。
しかし、転職のためのUターンか、Uターンのための転職か、
というそもそもの動機を振り返ると、
Uターンのための転職、という意識が強かったことや、
人々の生活に多角的に関わることができる公務員という仕事に魅力を感じ、
応募してみることにしました。
そもそも公務員試験とはどういうものか?から調べるような状態で、
準備期間が2ヶ月しかないことや、
民から官へ、という転職に若干戸惑いを感じながらも、
3年という社会人経験は、官・民どちらでも活かせると思うし、
数年間地元を離れていたという経験も役立つのではないか?と思い、
時間内で、とにかくやれるだけやってみよう、と決意します。

~2007年7月末~
退職

~2007年8月~
実家に戻ると同時に入院してしまいました。
そして、入院の原因となった病気以外にも病気が見つかり、
これまでの乱れがちだった生活を大いに反省しました。
入院によって、公務員試験の準備期間がますます短くなり、
試験範囲を全部カバーできず、相当焦りました。

~2007年9月~
一次試験(筆記試験、集団面接)を受験しました。
筆記試験はやはり、準備期間なりの出来でした。
一次試験で面接を行う自治体は珍しいようですが、
これも私にとって幸運の一つだったのかな、と今となっては思います。
想定問答を考える際には、職務経歴書が、経歴書自体もそうですが、
それをまとめあげる段階で考えたことが役立ちました。
本心でなくとも、文章で自分を飾ることはいくらでもできるとは思いますが、
想定問答を作りながら、この話は実感を込めて語ることができるか?
と度々自分に問い掛けた結果が、面接では出せたかと思います。

そして、一次試験を幸運にも通過した私は、10月に二次面接を受け、
無事、採用していただくことが決まりました。

偶然や幸運続きの転職への道のりを経験して、
次の職が決まってから退職すべし、無職より現職の方が有利、
ということを実感しました。
これは、原田さんや、転職を経験した知人の多くが語っていたことです。
私は、退職して山形に帰ってから転職活動をする、と決めたものの、
先が見えない状況が長く続くと不安にもなります。
やはり、ブランクは短い方が良いと思います。
私は現在は無職ですが、仕事の感覚が鈍っているだろうな、と感じています。
しかし、時間がたっぷりある今だから出来ることに時間を充て、
再就職までの時間を有意義に過ごしていきたいと考えています。
2007.11.21:原田幸雄:[転職成功物語]