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【転職成功物語17】年明けいただいた嬉しいメール

原田幸雄です。

昨年再就職先をご紹介させていただいた◯◯さんから
年明けにこんな嬉しいメールを頂戴してました。

本人に了解を得て、転載させていただきます。


この会社、仕事は結構厳しい会社なんですよ。
でも、その人の気持ちしだいでプラスになったり、マイナスになったり。
そんな思いを強くしました。


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新年あけましておめでとうございます。
 
□□の◯◯です。

 昨年末はアポイントを取らずにお邪魔してしまい申し訳ございませんでした。
 改めまして、昨年は再就職に関しまして大変お世話になりありがとうございました。

お陰様で、無事に、と言いますか、
前職時代にはなかったくらい心身共に充実した年末年始を過ごす事ができました。 

また、前職時代と大きく変わったのが、
大型連休明けに仕事を再開する際に常に感じていた億劫さや
休みが終わる事への空虚感のようなものが今回は全くなく、
どちらかというと仕事再開に対しては楽しみに近い感情を覚えました。 

現在は◯◯という役職を頂き、取引先の監査、海外部品の購買サポート他やりとり、
色々な場面に於いての取引先との折衝や交渉等、様々な業務に携わらせて頂いており、
出張も8回を数えます。 

出張理由は海外役員のアテンド、監査、取引先との打合せと様々ですが、
とにかく本当に色々と経験させて頂いてます。
今月か来月には中国への出張も予定されております。
外資系というこれまで経験した事がない環境での仕事ですから大変な部分はありますが、
責任を伴う仕事も任せて頂いておりますし、
前職にはあまりなかった個々の意見や主張を尊重する風潮、雰囲気の中で
大変充実感を感じながら仕事をしています。 

とにかく、私にとっては望んでも手に入れる事ができないと思っていた職場を紹介頂き、
また、そこで仕事ができるように導いて頂いた原田様には大変感謝しております。 

本当であれば実際お会いして近況報告をしたかったのですが、
今回メールにて近況報告させて頂きました。 

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2014.03.12:原田幸雄:[転職成功物語]

【転職成功物語15】誠実さは究極の強み =心から嬉しかった1年後のメール=

更新をすっかりサボってしまってました。

すみません。

そのかわり、今話題のfacebookをいろいろいじってみている今日この頃でした。

こちらも、どんどん充実させたいという気持ちは継続中です。


さて、先日本当に嬉しいメールをいただきました。

それはそれは"手前味噌"なので、ちょっと掲載を迷っていたのですが、ご本人の同意もいただきましたし、何より私があらためて大きな気づきをいただきましたので、ご紹介させていただきます。

このメールをいただいたAさんは、本当に誠実な方です。

当社の面接に同行させていただいたときの緊張で手が震えていた様子。
それを面接で正直に社長に説明する様子。
初めての業界なので、すべてはこれから勉強しなくてはならないことをきちんと説明する様子。
結婚を決めた彼女や彼女の両親のことまで、面接で汗をかきながら必死で説明する姿。

いろいろな姿勢・態度にそれはにじみ出ていました。


最近は、友達の数やかかわり方などを、企業側が判断する材料としてfacebook考査まで考えている時代。
そして、その対策として就職のためのfacebook対策ノウハウまで、世の中にでまわる時代。

「ふーん...。」と思っていたタイミングでいただいたこのメール。
至る所に、共感できる会社の姿勢と本人の考え方がちりばめられていると思いました。


ご覧ください!そしてよろしければご感想をいただきたいです。。。(^^)
社名やお名前は匿名ですm(__)m

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株式会社 キャリアクリエイト  
佐藤 広一様

ご無沙汰しております。
以前、転職を支援していただき○○工業株式会社に就職したAです。

 早いもので、あれから1年が経過しました。佐藤さんにご挨拶に行かなければ・・・と思いつつ仕事も忙しくなかなかご挨拶にお伺いできていません。
恐縮ですが、メールで失礼いたします。

 この会社に入ってから、とてもいい人間関係が築け、様々な仕事も任せていただけるようになりとても充実した日々を送っています。私生活でも昨年10月に結婚し、苗字がKからAになりました。ただ、充実しすぎて太ってしまいましたが・・・・

 新製品も順調に販売が進んでいます。
先日は、「会社のプロモーションビデオは○ちゃん(ニックネーム)に任せるから」と社長から抜擢していただきました。太り過ぎて以前の面影がないですがその映像がこちら↓にあります。
http://www.abcdefg/hijk/


 本当にこの会社に入れて幸せです!佐藤さんとお会いしていなかったらどうなっていたことかと考えるとぞっとしてしまいます。本当にありがとうございました。
 仕事が落ち着いた際にはぜひご挨拶へお伺いさせてください!

 メールで大変失礼ではございますが、1年を迎えたご挨拶をお送りさせていただきます。
季節の変わり目ですので、体調を崩されないようご自愛ください。

 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
2012.04.25:原田幸雄:[転職成功物語]

【転職成功物語14】決め手は行動力。苦労が報われたIさん。 

Iさんと初めてお会いしたのは2月初旬。
酒田市内がすごい地吹雪で、これが初体験だった私は「これがうわさの庄内地吹雪ですね!」と見知らぬ人に話しかけたら、「こんなのは、酒田だって年に2~3日だぁ」と教えていただいた寒い日でした。

待合せ場所でお会いしたIさんはとても元気。
お若いのにきちんと転職に向き合って情報を集めていて、良い意味で「周りの人を利用するのが上手な人だなぁ~」という印象でした。

Iさんは、離婚されて、かつ小さなお子さん2人をしっかり守っていかなければならないお母さん。
現実は、お子さんの守っていくために自ずと「最低限の必要収入」「労働時間の制約」という妥協できない必須条件をクリアしなければなりません。
前職では、アットホームな会社で、総務・経理・営業・WEB構築・販促など幅広い業務をこなしてきたので、ある程度幅広く目指すターゲットは設定できるものの、やはり苦労することになりました。

結果的に、私どもからのご紹介は実りませんでしたが、持ち前の根気強い行動力で見事就職が叶いました。

しかも、すべての条件を満たしているので圧巻です!
Iさんおめでとう!頑張ってください!

以下原文そのまま掲載します。

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山形から離れて12年。就職・結婚・出産・離婚を経験し山形に帰ってきました。インターネット上では、転職サイトが多数ありこんなに求人があるなら山形へ帰っても大丈夫だろうと高をくくっていましたが甘かったです。関東近郊や都市部の求人が多く地元の求人はめったに見つかりません。そんな中、山形県の人材紹介会社キャリアクリエイト様のページに行き着き登録しました。その時の私は、「いつまでも親に迷惑かけれないしどこでもいいから早く就職して生活基盤を整えたい」と焦っていました。初対面の佐藤さまよりいただいた言葉は、最終的に定年まで尽くしたいと思える会社との出会いへ導いてくれました。

「求人のある会社に自分を合わせるのではなく、自分のやりたい仕事が出来る会社を探しましょう!絶対ありますから!大丈夫ですから!」

早く職に就き安定した生活を送ることが離婚して子供を養わなくてはならない私には必須でしたが、何年か後に無理がたたり再度就職活動をしなければならないのはそれこそ本末転倒ではないかと目の覚める思いでした。この時やっぱりやりたい仕事を探そうと心に決めました。

2月からハローワークとキャリアクリエイト様を基盤に就職活動を開始し第1希望の会社に2次面接で不採用となりショックを受け就職活動を自粛中。さらには大震災の到来。その後ハローワークをメインに就職活動するものの何十社も書類選考すら通らずの日々・・・。自分の人間性すら否定されているような気持ちになりました。佐藤様に紹介いただいた会社様も子供がいるがために条件が合わず不採用に。就職活動の苦しい時期でした。佐藤様には「また次頑張ろう!」と何度も励ましていただきました。

私は明るい性格が功をなしてか面接まで持ち込むことができればある程度自分を表現できると思っています。ですから書類選考すら通らないハローワークからの応募を減らし『会社社長へ直接履歴書を送る就職活動の方法』へと切り替え何とか面接の機会を頂こうと作戦を変更しました。
送付する履歴書、職務経歴書、お手紙、自己紹介文と佐藤様にアドバイスいただき週2通を目標に出し続けました。初めは、いきなり履歴書を送って非常識な人と思われないか、お叱りの電話が折り返しあるのではないかと不安でした。幸い面倒見のいい社長様達とお話しする機会を得て採用には至りませんでしたが大変良い経験になりました。

7月に入り久しぶりに佐藤様よりご連絡いただき「他社の転職サイトへ地元の求人が出ているから」と情報をいただき即応募しました。結局、役員面接で仕事内容や環境に折り合いがつかずご辞退させていただきました。これからどうしようかと考える日々・・・。
数日後、ご辞退した会社より再度ご連絡いただき、別の仕事でも人が欲しいから一度その部署の人達と軽い気持ちでいいので面談してみませんかというお誘いをいただきました。もちろん即OK!フットワーク軽いところをアピールしつつ再訪問しました。部署の人達は馬が合うというか年代も同じくらいで仕事内容や今後の展開がやりたかった職種と合致し盛り上がりました。最後には、出来れば来てほしいという嬉しいお言葉を頂戴しました。
12年ぶりにUターンして知り合いがいない中、頑張って人間関係つくりに励みました。採用にいたったのは運が良かっただけなのかもしれません。これから仕事していくうえでもいろいろな人と縁を持てるように持ち前の明るさでネットワークを広げていきたいと思っています。

キャリアクリエイトの佐藤様には本当に自分のことのように親身になっていただきました。感謝しかありません。新しい就職先では一生懸命働き、今度は求人を提供する側で少しでも恩返しができる機会があればと思います。本当にありがとうございました。
2011.09.14:原田幸雄:[転職成功物語]

【転職成功物語13】不思議な「縁」を感じました。

恒例の【転職成功物語】
今回は転職が決定したのが昨日!という、季節柄暑々(違うか!)の物語です。

寄稿をお願いしたのが昨日の夕方。
快く引き受けて下さったAさんは、今回が3社目という転職歴ですが一社目からの心の動きを丁寧にまとめてくださいました。
歴代トップ級の超大作です!

自身に重ねるといろいろな気づきを得られます。

Aさん本当におめでとうございます。
この山形で、これからも末永く宜しくお願いします。

以下、原文のまま、お送りいただいたメールの内容からご紹介します。

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長文、駄文、申し訳ございません。今の気持ち、前職で希望退職に応募した時からの経緯を含めてまとめてみました。

思い返せば、山あり谷あり。思い悩んでばかりですが、それぞれの会社でとても多くのものを学んだんだなと、思えるようになりました。

山形を離れ、都会を十分経験したからこそわかる山形の良さ。
私が山形に戻るのは、やはり、今なのかもしれません。

これからは、仕事だけではなく、親戚づきあい、隣組などのご近所づきあいにも積極的に顔をだしつつ、人の輪を広げてゆきたいと思います。

引き続き、よろしくお願いいたします!
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最初の転職は2008年です。約8年勤めた企業を希望退職に応募する形で退社しました。山形県内に本社を置く企業の中では最大規模の歴史ある会社です。そのなかで、現場重視の経理を徹底的に叩き込まれました。会社全体の経営計画策定まで任せていただいたところで、新たな環境へ移ろうと決意しました。「開示業務など、より上位組織での経理業務に携わりたい。」これが退社の理由でした。1年間の親会社への出向経験が自分を動かしたのです。

ただ、今になって思うことは、この8年間で得た経験が、今の自分の支えになっているという事実です。先輩から時に厳しく、根気強く、指導していただいたことは、私の人生の宝となりました。2001年9月11日。あの日。深夜まで数字が固まらず、悶々としていた自分に付き合って、居残ってくれた先輩の温かい後ろ姿を忘れることは出来ません。私もそういう先輩でありたいし、あらねばならない。そう思います。先輩の厳しい指導の裏にある温かさが、今になってわかるようになりました。

転職とはなにか。恥ずかしながら、当時の私は、その進め方をまったく理解していませんでした。ただ、希望退職での退社であったことが救いでした。会社が契約した再就職支援会社からのサポートを受けることが出来たからです。時おりしもリーマンショックの只中。本当に道はあるのかと不安になりました。そんな中、担当のアドバイザー氏から、「転職を専門に支援するエージェント」の利用を薦められたのです。その一つが「キャリアクリエイト」さんでした。そのときは、残念ながら、お世話になることが出来ませんでした。しかし、このときの記憶が、後に大きな「縁」をわたしにもたらしてくれることになります。そのときは、まったく想像できませんでしたが。

山形での再就職をあきらめ、大手エージェントに求職登録し、全国に視野を広げました。遠くは北九州小倉。某製鉄メーカーの子会社の面接を受験。「明日面接に来てくれないか。」JTBに飛び込んで、急いでチケットを入手。面接に向かうため、生まれて初めて飛行機に乗りました。自分の世界が大きく広がってゆくのを肌で感じました。ゲーム機最大手のメーカーでは、東京青山の本社で最終面接にまで臨むことができました。不合格ではありましたが、偉大な先輩の足元にも及ばないと思っていた自分のスキルが、一定の評価をいただいた。大きな自信になりました。

約半年間の再就職活動を経て、最終的に2社から内定を得ました。そのうちの神奈川県にある会社に入社しました。決め手は、上場企業であったこと。勤務地が山形に似て、自然豊かな環境であったこと。そして、特急で1時間で都心にアクセスできたことです。

2年半お世話になりましたが、ともても得がたい経験をすることが出来ました。経営状態が極めて悪化している状況での入社。給与・賞与ともに大幅にカットされ、退社までそれは解除されませんでした。ですが、企業の最悪の状態と再生の過程を体感し、直接的にではないにしろ、再生への活動に携わることが出来たこと。これは今後の自分の宝になると思います。

そのなかで感じるようになった違和感。現場からかけ離れたところで、机上の数値から資料を作ってゆく。これでいいのだろうか。開示規則にしたがって資料をまとめてゆくことが、果たして経営に生かされるのだろうか。現場主義を叩き込まれた自分にとって、現場から乖離した経理は、「自分が目指すべきものではない」と感じたのです。と同時に、「現場に根ざした経理、投資家といった会社の外へ向けて情報を発信する」のではなく、「経営に生かすべく会社の中へ情報を発信する経理に、再び、腰を据えて携わってゆきたい。」そう思い立ち、再び、転職のための情報を収集するようになりました。

そのさなか、東日本大震災がおこりました。

事務所でパソコンに向かっていたとき、これまでに感じたことの無い大きな揺れに恐怖を覚えました。かつて東京の親会社へ出向中に遭遇した中越地震を思い出しました。すぐに停電になり、避難指示がでました。全社員が非難した後、即退社を命じられました。会社から15分ほどの自分の部屋に帰ってすぐTVをつけました。幸い電気は通じていました。次々と映し出される、現実とは思えない光景。記憶にある、実際に何度も訪れたことのある風景が、消え去っている。いったい何が起きたのか。実家と連絡が取れたのは夜遅くのことでした。家族の無事を確認しほっとしました。ただ、家族の無事な姿を「この目で見るまでは」安心できない。私に出来ることは、TVに映し出される映像を携帯で撮影し、山形の家族にメールすることだけでした。停電のなか、情報を入手する手段を絶たれた家族の助けになればとの思いです。このときの思い。山形から離れ、家族のために何も出来なかった悔しさが、私に、山形へのUターンを決意させました。震災から1週間後、羽田から庄内空港へ、庄内空港から高速バスでなんとか山形へたどり着き、家族の無事な姿を目にしたときは、心から安心しました。

それから、年度末の本決算。1か月以上休みなしという、毎年恒例の激務を終え、ゴールデンウイークの代休を取得し山形へ帰省したとき、私はスーツと革靴を持参していました。履歴書に添付する顔写真を撮影するためです。6月初旬のその日。再就職時にお世話になった近所の写真館へ予約の電話をしたところ、臨時休業とのこと。仕方なく、明日の予約をとりました。時間は昼過ぎ。せっかくスーツを着ているのだからと、頭に浮かんだのが再就職の折お世話になれなかった、「キャリアクリエイト」さんでした。「直接、山形の求人動向を聞いてみよう。」だめでもともとです。「電話しよう!」そうしたら、何と「すぐに来れますか?」その足で事務所に伺いました。代表の原田様より簡単なカウンセリングを受けた後、紹介されたのが「B社」です。その日のうちに書類を揃え、原田様に送付。翌日には佐藤様と、より詳しい面談を行いました。「こんなキャリアを持った方を探してたんです!」そんなお言葉を頂いたときは正直驚きました。先方様より待ったなしの催促を受けられているさなかとのこと。「とにかくこの流れに乗ろう!」と思い、進めていただくことに。その後は、こわいくらいスムーズに進展し、翌週には面接受験の機会を頂きました。面接では、社長様はじめ、皆様と深く意見を交換することが出来ました。B社の進む道と自分が歩んできた道が重なり、一つに重なってゆく姿が見えました。「ここで働きたい。」そう思える環境に巡り合うことができたこと。しかも、生まれ育った山形の地で。うれしかったです。

その日の夕方、東京へとんぼ返りし、翌日の出社に備えていた深夜2時、祖母が亡くなったとの連絡が山形の家族からありました。これは果たして偶然なのか。いや偶然ではない。祖母は私が山形に戻り、家を支える決心をしたことに安心したのではないか。そう思わずにいられません。翌日山形へ戻り、人生で初めて、喪主を務めることになりました。ここで感じた、親戚の皆さん、山形の暖かさ。忘れかけていた大切なものを、祖母は最期に私に思い出させてくれたのかもしれません。

翌週、内々定の連絡を頂きました。そして、7月6日。私の34回目の誕生日。採用決定のご連絡を頂きました。

Uターンを決意し、行動に移してからちょうど1ヶ月。これほど早く、ベストな結果を得ることができるとは想像できませんでした。これまでの人生で感じたことのない「縁」を感じます。ですが、やはり、「キャリアクリエイト」さんと出会えたこと。原田様、佐藤様、黒川様。皆様と出会えたことが一番の「縁」だとおもうのです。

一人でも多くの方が、素晴らしい「縁」に巡り合い、自然豊かで心が温かい人々でいっぱいの山形へUターンされることを、心より祈っております。

皆さま、このたびは、本当に、有難うございました!
これからもよろしくお願いいたします!
2011.07.07:原田幸雄:[転職成功物語]

【転職成功物語10】大企業から中小企業へ、そして再転職。Kさんの話

私どもを通じて転職が実った訳ではないのですが、私との面談がきっかけで、転職に結びついたということで挨拶に来てくださったKさん。
Kさんの経験談が多くの人に役立つものと思ったので、文章にまとめていただくようにお願いしました。
いただいた文章をそのまま以下に掲載します。

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私にとって最初の転職は2年半前でした。
早期退職という形ではありましたが、急に決まった退職で、再就職に対する焦りがあったのかもしれません。
最初は技術者としての経験やスキルを生かせるところ、会社規模など安定したところを希望していました。残念ながら山形でその条件に合うところを見つけることが困難で、当時のコンサルタントの方が「中小企業の幹部候補」としての道を勧めてくれました。
再就職した会社はまったく異業種ではありましたが、最初から管理職待遇で迎えてくれ、その直後におそってきた100年に一度の大不況の前に再就職できたことを幸運だと思いました。
しかし、途中で「なんかおかしいぞ」と歯車が狂い始めたことに気がつきました。

再度の転職を決意するまでの間は、
あせってこんなところに再就職したのは失敗だったのか?
大企業から中小企業への転職は失敗だったのか?
寄り道せずに技術者としてのキャリアを積み重ねて行ったほうが有利ではなかったか?
という迷いを抱えていました。

原田さんにお会いしたときにいただいたコメントは
1.大不況の嵐の前に再就職できたことは幸運であったということ
そのタイミングで就職できていなければもしかしたら今も定職に付いていなかったかもしれないです。事実、大学時代の友人で1年以上浪人を続けている者もいましたから。
2.いつかはキャリアチェンジをしなければいけなかったので、そのタイミングとしては悪くなかったということ
大企業で化学系技術者としてのキャリアを継続する道は山形には無いのが現実だと思います。
3.手を汚して何でもやれるというように見せることも重要だということ
お高くとまってスキルだけをアピールするのではダメだということですね。

話を聞いていただき、現職を継続することも選択肢に残しながら転職に踏み出す勇気が持て、気持ちが少し軽くなりました。
転職先を探すにあたり、重要な点を次のように考えました。
・技術者としての20年間に得たものはもちろん重要なスキルですが、中小企業の中間管理職として汚れ役を経験したことも重要なキャリアであること
・大企業にずっといては見えなかったことが中小企業で視野を広げることができたこと
大企業に長くいたことにより溜まった垢を、中小企業を経験することで落とすことができたことを強みにしようと考えました。

幸い1ヶ月くらいで決まった転職先での職務内容はまだ分かりませんが、背伸びをせずにまず与えられたポジションを確実にこなしながらステップアップしていきたいと考えています。
最初の転職先での失敗は、
最初から管理職待遇ということで、背伸びをして期待に応えたいという気持ちがあり、会社側も「あの会社から来たのだから何でもできるだろう」という期待もあり、業務範囲が処理能力を超えたことです。
そこでマイナスに回り始めた歯車は、私の社内での評価を最悪のものにしていました。前職でのプライドを捨て切れずに自分を大きく見せようとしていたことが裏目に出たのでしょう。
今度はこの失敗を繰り返さないように新たなスタートを切りたいと思います。
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以上の文章はワードでかかれ添付ファイルでいただきましたが、本文には以下の文章が書かれていました。

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原田様
結果的には原田さんのところでお世話にならずに転職することになってしまいましたが、
最初に面談いただき、追い込まれた状態から踏み出す勇気をいただいたことは本当に感謝しています。
1回目の転職、2回目の転職の体験談がお役にたてれば幸いです。
重要なキーワードは「プライドを捨ててキャリアチェンジの勇気を持つこと」だと思います。
原田さんには本当に良いアドバイスをいただきました。
それと、キャリアアップとは収入のアップではないと思います。
それは痛感しています。仕事は自分の成長のため、という考えが持てるかどうかが大事ではないでしょうか。
Kより
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Kさんと同じような体験をされた中高年の方、現在、そのような状況にある方も多いのではないでしょうか。
ぜひKさんの体験を参考にしてください。

文:原田幸雄

2011.01.13:原田幸雄:[転職成功物語]