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小児病棟でバルーンアート

T大病院から東京の病院に転院する前日

約8ヶ月お世話になった病院へ感謝の気持ちを込めて・・・

小児病棟でバルーンアートをやらせて下さいとお願いした

壁は高いことは承知の上で・・・

看護師さんから頼んで貰えないかとお願いした

でも・・・
やっぱり壁は高かった

平日は授業をやっているということと
感染症のリスクが主な理由だったかな

出来た作品を病棟に飾るだけなら・・・

とOKを頂いた

バルーンアートは、一つの風船が他の形へと変えていく過程を見るのが
面白いと私は考えているのだが・・・

駄目もとだった為、飾ってもらえるだけでもありがたい

大きな袋いっぱいに、バルーンをもって小児病棟に行くと

『なに? なに?』

廊下にいた子供たちが興味を示してくれた

袋の中からバルーンを手にとった子供たちの笑顔と輝く瞳

とっても素敵だったなぁ

辛い入院生活の中で、ほんの一瞬でも笑顔になれる時間を・・・
そんな時間を提供できることが大きな目標

小児病棟で子供たちの笑顔に囲まれているところをイメージしながら・・・
スキルアップに努めていこうと思う

セカンドオピニオン

2009年9月16日 セカンドオピニオンのため主人と東京へ向かった


主治医から有効な治療はないと言われたとき
正直なところ・・・真っ先に、地元の病院に戻って欲しいと思った
最後の時間を少しでも多く一緒に過ごしたいと思った

でも・・・

主人は、肉体的にまだまだ元気だった
このまま死を待つ事に違和感を感じた

セカンドオピニオンを求めた医師が、情報提供書を確認すると

Dr 『お子さんはいるの?』

主人『はい。一年生と三年生です』

Dr『じゃあ、死ねないよね?』

主人『・・・はい。』

Dr『死ねないなら、方法は一つしかないよ』

主人『出来るんですか?』

Dr『うちの病院では、普通にやってます。でも、数字はないよ。』

どうしようか?という眼差しで見つめる主人に私は

『ここに来るしかないでしょ!』

主人の背中を思いっきり押してしまった

家に持ち帰って考える時間の猶予はなかったから

どこの病院もやらない危険で難しい治療だという事も
数字はないということの意味も
分かっていたつもりだった

本当に命を落としてしまうまでは・・・

木イチゴ みっけ!

  • 木イチゴ みっけ!
盛岡出身のSさんから
岩手県産木苺ジャムを使用した
『千秋堂』のクッキーを頂きました

サクサクのクッキーの中に
甘酸っぱいストロベリーチョコがサンド
採れたての木苺のプチプチの食感・・・
とっても美味しかったです

岩手県は娘たちを一度連れて行ってみたい土地のひとつです

『来年の夏休みは、゛河童の研究゛にしよう! 遠野に行こうね!』

この夏休み娘たちと、そんな会話をしたばかりでした


 Sさんに尋ねてみました

『河童って本当にいるんですかねぇ・・・?』
(大の大人が、こんな質問してすいませんでした)


『いると信じる人にはいるんでしょうね』


私もそう思っています

河童も
サンタクロースも

信じる人にはいるのだと

子供たちにもいつもそう伝えています

Sさんありがとうございました

医療における人権

 『もしも、私が70歳を過ぎてガンになったら、無治療でいい。その時、私が判断力や理解力に欠ける状態だったとしても、この意志を尊重して欲しい。』

闘病中の主人とそんな話をした事があった。

 子供や高齢者の場合は特に、どんな医療を受けるのか、受けたいのかは本人よりも親や家族の希望が優先されることが多いのだろう

現実的にそれは妥当な事だと思う

でも・・・

本当にそれでいいのだろうかと考えると

心が痛む


 

忘れられない日

2009年9月4日 午後2時

主人の主治医から職場に電話がかかってきた

『ご主人の今後のことについて、急なんですが・・・今日お話をしたいんですけど・・・夕方、病院に来ていただけないでしょうか。夜になってもかまいません』

主人が入院してから、急に呼び出されるのは初めて
いい話であるはずがない

仕事を早退して、すぐに病院に向かった
どんなに急いでも、T大病院まで三時間

午後6時すぎ病院に着いた

私が到着したことを主治医に知らせないでと主人は看護師に頼んだ

『先生の話を聞いたら、ショックでご飯が喉を通らないかもしれない。聞く前に、夕飯を食べよう!』

あきれて言葉もなかったけれど
二人で笑い話をしながらご飯を食べた

今後のこととは
あまりにも厳しすぎる現実の中で
残りの時間をどう生きるのか

この日から本当の
生きるための闘いが始まった