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また来るね!

2010.1.16
『また来るね!』
そう言って病院を後にした
それが、主人と直接言葉をかわした
最後の日となってしまった

命がけの危険な治療だと知りながら
私は子供たちを残して東京に滞在する事を
選ばなかった

子供たちとともに東京に滞在することも
選ばなかった

もう遅すぎるけれど
今なら迷うことなく主人のそばにいることを選ぶ
自分の気持ちに正直に行動することをためらったこと
行動しなかったことが悔やまれる

今までずっと走り続けてきた
背負ったものの重さを感じることが怖くて
立ち止まることをしなかった
まもなく一年が過ぎようとしている

今、少し立ち止まって
背負ったものの『重さ』を感じてみようかと思う
走り続けてきた自分の中にある
止まっままの時計を動かすことが出来る気がするから

看取りの医療・・・その2

『私がした事は殺人ですか?』  
元・川崎協同病院呼吸器内科部長
須田セツ子著

延命治療中止をめぐって
命の倫理が争われた
【川崎協同病院事件】
被告である須田医師の著書


先日の看取りの医療報道を受けて
昨年読んだこの本を今一度手にとってみた


日常的に生をみつめる患者・患者家族
日常的に臨終に立ち会う医師


立場の違いから起こる誤解や感情の縺から
同じ悲劇を繰り返さないために

私にもできる事があるとしたら・・・

だれもが避けられない

『死』

があることを

過去から学び伝える事
そして、最期のありかたを考え続けることだろうか


看取りの医療

昨日の報道番組のテーマ

【看取りの医療・臓器提供】

・脳死判定のための検査
・脳死診断
・臓器提供の選択肢の提示
・ICUで家族との記念撮影

大多数の方たちは
この報道をどう受け止めたのだろうか


私は、ある事を思い出した

主人と家族の最後の時間を過ごしているとき

看護師が

『写真をとりましょうか?』と。。

私には理解出来なかった

人口呼吸器に繋がれた主人との写真など
残したいとは微塵も思わなかった

娘たちは、
危篤状態のお父さんの体を一生懸命きれいにしてくれた
清拭、足浴、手浴

それは・・・

看取りのため?
死を受け入れるため?

いや、違う

絶対違う

その瞬間を一緒に生きるため!

看取りの医療とは誰のために存在するのか
残されるであろう遺族のためにか


娘たちのために
最後の家族写真を残してやるべきだったのだろうか・・・

残りの時間

結婚してからは・・・

・娘たちのこと
・家庭のこと
・仕事のこと
・自分のこと

何か決断をするとき
小さい大きいにかかわらず
主人との会話の中で模索しながら
答えをだしてきた

結果的に、自分の考えを押し通すにしても
それを支えてくれるパートナーの存在は大きかった

お互いに主張する同士だったから・・・(苦笑)
譲れないことが多すぎて傷つけあうことも多かった


なのに・・・

主人が発病する一年前くらいからだろうか
お互いに理解し合うことを意識し始めた

今にして思うと・・・

残りの時間を本能的に察知していたようなきがしてならない

なんにもしてないのに・・・

近頃の娘の口癖


『なんにもしてないのに、お母さんに怒られたぁ~』



いや(--;)




んだがらぁ・・・




『なんにもしないから、怒られるんでしょ!』



この同じ会話・・・



あと何回つづくんだろ(-.-)