主人が急変する前夜
『春休みには、退院できるかな』
『子供達と一緒に迎えに行くよ』
『東京で何して遊ぼうか・・・』
こんなメーのやりとりした
翌朝、重責痙攣をおこし気管内挿管
主人と会えたのは挿管後だった
十分闘えるという医師を信じて管を抜ける日をじっと待っていた
春休みには、子供達と退院する主人を迎えに行くはずだった
合併症が重なり状況は変わっていった
管を抜ける日が来る事は無いかもしれないと分かった時
『本当に、どうにもならないと分かったら、管を抜いて、話をさせてほしい』
と希望した。
医師の答えは、ノーだった。
それは、単に出来ないというのではなく、納得のいく理由だった
゛春休みは東京で一緒に遊ぼう゛
ここで、主人との時間は止まったままだ。
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