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一番困ったことは?

『お父さんが亡くなって、一番困ったことは何 ? 』

 と娘に聞かれ、改めて考えてみた。

 入院で一年以上不在だったため、いないなりの生活が身についてしまっている。子供達にも、父親の分までという気持ちでは、接してこなかった。

 それは、これからも変えるつもりはない。

 一番困った事は・・・なんだろう・・・

  娘達に逆に聞いてみた

 『お父さんが亡くなって、困った事ある?』 

と尋ねると

 『ある ! 一緒にお出かけできなくなったこと!!』

 それって・・・・"困った事"っていうのかな?

新学期

 娘達の通う小学校は、昨日始業式だった

 二年生と四年生になった

 通勤の途中、昨年の入学式のことを思い出した

 娘の入学式当日を病院ですごさなければならなかった主人の事を想い

 涙がこぼれた

 私はいつまで、娘達をみとどけられるだろうか・・・

 時間は限られている

 どんな時も
 
 一番大事なものを見失わないようにしたいと思う

 

 

 

追 悼

 ジャイアンツ木村コーチのご冥福をお祈りいたします。


 お父さんへ

 木村コーチの訃報に娘達は

 お母さんと同じ年なのにと、心を痛めました

 ジャイアンツが大好きだったお父さんの事を想い

 『お父さん、木村コーチと会えるね』

 『今頃、ジャイアンツの話で盛り上がってるかもね』

 と・・・

 子供達の中に、お父さんはずっと生き続けています。


 父親同士・・・野球の話や子育ての話にはなを咲かせてください


 合掌
 

同 郷

 主人は、山形県が・・・川西町が・・・大好きだった

 東京の病院でも主治医が山形県出身だったのは本当に幸せな事だった

 
 初対面の時、

 『ここにもサポーターはたくさんいる。みんなに、山形魂をみせてやりましょう』

 と言う医師に、 主人は、握手を求めた


 互いに信頼しあって、ともに闘おうという握手


 しばらくして、奇跡がおきた

 専門医が奇跡だと驚いた

  このとき主治医は

 『僕と握手したのが良かったのかもね』

 と言って笑った

 この奇跡は゛山形魂゛の威力だったのかもしれない
 

春休みは・・・・

 主人が急変する前夜

 『春休みには、退院できるかな』

 『子供達と一緒に迎えに行くよ』

 『東京で何して遊ぼうか・・・』


 こんなメーのやりとりした

 翌朝、重責痙攣をおこし気管内挿管

 主人と会えたのは挿管後だった
 
 十分闘えるという医師を信じて管を抜ける日をじっと待っていた

春休みには、子供達と退院する主人を迎えに行くはずだった

 合併症が重なり状況は変わっていった

 管を抜ける日が来る事は無いかもしれないと分かった時

 『本当に、どうにもならないと分かったら、管を抜いて、話をさせてほしい』

 と希望した。

 医師の答えは、ノーだった。

 それは、単に出来ないというのではなく、納得のいく理由だった


 ゛春休みは東京で一緒に遊ぼう゛

 ここで、主人との時間は止まったままだ。