山寺芭蕉記念館

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「おもだかの」発句自画賛  与謝蕪村 筆 1幅 宝暦八‐明和初年(1758‐66) 山寺芭蕉記念館蔵

 

     文月八日

おもだかの橋は 引ずや銀河 蕪村(花押)

              

〔解 説〕 

 蕪村の宝暦から明和初年の筆跡の特徴がよく表れている作品。

沢瀉(おもだか)は水田に生える多年草。池辺の沢瀉の影が、昨夜の七夕には水面に映える天の川に渡す橋かと思えたが、八日の今日も昨夜の名残りを偲ばせつつ、季節を過ぎて衰残の姿をさらしているさまを、句・画両面から利かせたもの。


山形市指定有形文化財 黄石公図 1幅
与謝蕪村(よさ ぶそん) 筆 江戸期(18世紀) 
潁原退蔵・尾形仂コレクション・本館蔵


 江戸期の画家で俳人の与謝蕪村が描いた中国秦時代の隠士黄石公(こうせきこう)。黄石公は、漢(206 B.C.〜220A.D.)を創始した三傑の一人張良(ちょうりょう)に太公望(たいこうぼう)の兵法書を授けたと伝えられる人物。太公望は紀元前11世紀頃の中国周王朝(1050 B.C.頃〜256 B.C.)の名将呂尚(りょ しょう)のこと。
 蕪村は享保(きょうほう)元年(1716)生れ。22歳の時、俳人巴人(はじん)に入門する。55歳の時に巴人の夜半亭(やはんてい)を継ぎ俳諧宗匠となる。一方、絵画の分野では同時代の画家池大雅(いけのたいが)と共に日本南画の大成者として評価されている。天明3年(1783)没。


「いざ出む」句文懐紙 松尾芭蕉 筆  1幅 貞享4年(1687) 山寺芭蕉記念館蔵

 いざ出む 雪見にころぶ 処まで
 
 この書き物は「懐紙」という形です。
 1687年の12月初め、芭蕉が江戸から西への旅の途中、名古屋の人家を訪ねてご馳走を頂きました。お酒も飲んで気分もよくなって来たころ雪が降りだし、かなり積もってきました。そこで「外に出て雪見(雪を賞美する催し)をしよう、風流のために滑って転んでもまた良いものではないか」と詠んでいます。


山形県指定有形文化財 紅花屏風(右隻) 六曲一双 青山永耕 筆

 紅花の生産から出荷、店頭での販売等、流通まで描かれている。右隻には、種蒔き作業、上方遠景の笠を被った花摘みの人々、紅餅(花餅)製造の作業などが描かれる。左隻には、荷造り作業、千石船の入港、京都の紅花問屋の景が見られる。
 作者の青山永耕は、文化14年(1817)に出羽国(現、山形県と秋田県)東根六田に生れる。初め上山藩の絵師丸野清耕門。後に江戸で狩野永悳立信に学び狩野永耕応信と号した。明治12年(1879)没。

 


山形市指定有形文化財 「はるもやゝ」発句画賛  森川許六 画・松尾芭蕉 筆  

句は「はるもやゝけしきとゝのふ月と梅」。芭蕉が句を、門人の森川許六が絵を描いた合作。
 

許六は21歳から55歳まで彦根藩士として勤めました。狩野派で画技を学び、絵師としても活躍しています。芭蕉に対面して入門したのは37歳のときです。  



Haru mo ya ya (Advent of Spring),haiku poem and painting

Ink and light colors on paper Calligraphy by Matsuo Basho
Painting by Morikawa Kyoriku
Genroku(1693)

Haru mo ya ya
Keshiki totonou
Tsuki to ume
The advent of spring
revealed in the sight of
the moon and plum blossoms

 


山形市指定有形文化財 「会式」懐紙 松尾芭蕉 筆

俳席における連衆の心得を書いたもの。

俳諧は和を重んじ、尊卑の別なく交わるものなので、俳席では無礼にならない程度に世間的礼儀を省略する。・・・

 



「世にふるも」句文懐紙 芭蕉 筆

山寺/松尾芭蕉像

山寺/曽良像
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