山寺芭蕉記念館

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洒堂宛芭蕉書簡  松尾芭蕉 筆  

芭蕉が門人の洒堂に宛てた手紙です。洒堂への忠告などが書かれています。

洒堂は近江国の膳所(現在の滋賀県大津市)の医者でした。洒堂は大坂(現大阪市)に移り、俳諧師を名乗り弟子をとるようになりましたが、このことで大坂にいた芭蕉の門人之道と不仲になりました。
手紙の文面は、芭蕉が洒堂のそのような振る舞いをたしなめる内容です。「利口ぶる心がある」、「言うとおりにしなければ絶交する」と田野芭蕉の手紙には余り見られない厳しい表現があり、まことに興味深い内容です。  



Letter from Basho to Shado

In his letter, Basho reproaches Shado for his course of action. This letter, which contains phrases such as “You think too much of yourself,” and “If you will not do as I say, I will break off our relationship,” is notable for the harshness of Basho’s tone, something seldom seen in his other letters.




「幻住庵記」草稿断簡  松尾芭蕉 筆  

『おくのほそ道』の旅を終えた芭蕉は、元禄3年(1690)4月6日から7月23日までの間、近江国の国分山の幻住庵に滞在します。その幻住庵滞在中の俳文が幻住庵記で、本稿はその最初期の自筆草稿の冒頭部分。芭蕉自らが推敲を施した部分が確認できます。  




   多賀城碑前の芭蕉と曽良 『芭蕉翁絵詞伝』蝶夢 著・狩野正栄 原画より

 元禄2年(1689)「おくのほそ道」行脚で多賀城碑を訪れた芭蕉と曽良。
今日は多賀城碑として知られる古碑を芭蕉は歌枕の“壺の碑”と思い感涙する。
 
 江戸中期の俳人蝶夢が芭蕉100回忌を記念して編んだ芭蕉の一代記です。蝶夢は京都の人で浄土宗の僧でした。芭蕉没後40年近く経ってから生まれたので芭蕉に会ったことはありませんが、芭蕉の墓のある義仲寺で毎年芭蕉忌を開いたり、諸国を回って芭蕉の顕彰(功績をたたえ広めること)につとめました。
 この資料は出版されたものですが、そのもととなる絵巻物が義仲寺に所蔵されています。


Basho-o ekotoba den (The Life of the Venerable Basho in Pictures and Words), 1 volume
Chomu, author

In this work, the mid-Edo-period haiku poet Chomu, a priest of the Jodo-shu Buddhist sect who hailed from Kyoto, depicts Basho’s life story to commemorate the 100th anniversary of his death. Born nearly 40 years after Basho’s death, Chomu never met the haiku master in person, but he conducted yearly memorial rites for Basho at Gichuji Temple, where Basho’s grave is located, and he traveled throughout the provinces to publicly honor Basho and promote recognition of his achievements.

The published work shown here was based upon an emakimono (picture scroll) which can be found at Gichuji Temple.



「洒堂宛芭蕉書簡」等の4点をご紹介




洒堂宛芭蕉書簡  松尾芭蕉 筆  

芭蕉が門人の洒堂に宛てた手紙です。洒堂への忠告などが書かれています。  




「はるもやゝ」発句画賛  森川許六 画・松尾芭蕉 筆  

芭蕉が句を、門人の森川許六が絵を描いた合作。句は「はるもやゝけしきとゝのふ月と梅」。許六は21歳から55歳まで彦根藩士として勤めました。狩野派で画技を学び、絵師としても活躍しています。芭蕉に対面して入門したのは37歳のときです。  



「幻住庵記」草稿断簡  松尾芭蕉 筆  

『おくのほそ道』の旅を終えた芭蕉は、元禄3年(1690)4月6日から7月23日までの間、近江国の国分山の幻住庵に滞在します。その幻住庵滞在中の俳文が幻住庵記で、本稿はその最初期の自筆草稿の冒頭部分。芭蕉自らが推敲を施した部分が確認できます。  





   多賀城碑前の芭蕉と曽良 『芭蕉翁絵詞伝』蝶夢 著・狩野正栄 原画より

 元禄2年(1689)「おくのほそ道」行脚で多賀城碑を訪れた芭蕉と曽良。
今日は多賀城碑として知られる古碑を芭蕉は歌枕の“壺の碑”と思い感涙する。 




「世にふるも」句文懐紙 芭蕉 筆

山寺/松尾芭蕉像

山寺/曽良像
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