小野川温泉 吾妻荘

小野川温泉 吾妻荘
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 小野川、梁沢、田沢の大樽川、小樽川が

 館山城で合して鬼面川となり
 
 館山頭首口の所に木場までの西山堰(帯刀堰の)

 取り入れ口があります。

 この木流しの堰は、直江兼続の指示で館山衆が
 
 掘った物でゆっくりと木が流れるように作ってあります。

 数百メーター下がった所に2箇所別の取り入れ口の遺構

 があり、こちらが元の水取口であったそうです。



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 直江兼続は、白布温泉に秘密工場を
 作り、鉄砲を鋳造させたと言われています。

 その秘密工場は、現森の館、元ユースホステル
 の所だと言われていますが、

 この場所から建設工事の時、鉄くずが出土した
 といわれ、

 伝承の真実が伺われます。





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 白布温泉にある鉄砲鋳造の碑。直江兼続は
 白布を秘密工場として他藩から技師を招き
 特別仕立ての鉄砲を鋳造させました。

 宮坂考古館で現物を見ることができます。
 とても重くて、持つのがやっとですね。

 構えて打つのでなく、上から振り下ろしざま
 打ちますね。
 

 直江兼続は有名な愛書家で、日本初の銅版
 活字本を出版したりしていますが、400年前の
 彼の本のコレクションが上杉博物館に多数残されて
 います。

 禅林寺は彼のコレクションを藩士の教育のために
 使用したものですが、

 米沢の藩校から興譲館、明治の米沢図書館へと
 受け継がれて今日我々がみることができます。

 旧禅林寺の一角に米沢図書館の門標が残っているのは
 うれしいですね。

 春日山、林泉寺。上杉謙信が修業した上越
 春日山麓の曹洞宗の寺で、上杉の米沢入部と共に
 米沢に来たといわれる。

 この右奥に直江兼続夫婦の墓がある。

 中に墓があり外に見えるのは覆いです。

 菩提寺徳昌寺は徳町(徳昌町)にありましたが
 新潟にさりました。

 米沢城本丸東のお堀端に松ヶ崎神社があります。
 この場所は、直江の広大な居宅のあった場所で

 上杉景勝と直江兼継、鷹山公が一緒に祀ってあるのが
 うれしいですね。

 米沢城下建設の恩人と米沢藩再生の恩人が一緒に祀って
 あるわけです。

 上越の春日山にも林泉寺がありますね。上杉の会津
 、米沢移封にともなってこちらに移ってきたもので
 歴代の上杉家奥方様の菩提寺です。

 直江公夫婦の墓も奥にあります。100円の参観料で
 参拝できます。

 米沢城本丸東に広大な敷地をもっていた直江兼続。
 徳照寺は、直江の菩提寺で徳町にありましたが、
 直江、景勝死後の林泉寺との権力闘争に破れ
 新潟にさりました。

  とても重くてやっと持つことが出来ます。

 直江兼継は秘湯白布山中で立ち入りを禁止させ
 専門家を招き、鉄砲を鋳造させました。

 上杉祭でも披露される米沢の鉄砲隊は特別仕立ての
 大筒を操って恐れられました。

 在の方にも火縄銃が伝わったいたところをみると
 在郷衆も砲術隊に加わったものでしょう。

 昔は、館山浄水場の西側を自転車で回って
 学校に通ったものです。

 伊達正宗の館跡であった館山から、千坂の家臣が
 原方衆として定住した赤芝部落までのみちは
 近世の初頭に作られたもので、

 直江兼続が伊達がさった館山から赤芝まで
 道を切ったのが今の小野川街道の起こりです。
 いわば小野川街道開通の父が兼続であったものです。