小野川温泉 吾妻荘

小野川温泉 吾妻荘
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  小野川の警防団長をしていたので戦争が激しく
  なってみんな駆り出された時、召集が来なかった
  と聞いています。自分は学校を中退させられたので
  孫が慶應に合格したのがとても嬉しかったらしく
  親戚の扇屋から出た人で、明治期に早稲田に行った
  人が当時羨望の的だったと言う話をして、東京に
  出発の日、満面の笑みを浮かべ見送ってくれました。
  
  学生時代、外人の先生に学校までどのぐらいの
  距離ですかと聞かれ、フォウリ(四里)と答え
  通じなかったのを悔しがっていました。一里が
  何マイルかわからなかったようです。12キロ
  を2時間から2時間半ぐらいかけて毎日徒歩で
  市内の学校まで通った訳です。冬は、矢来あたり
  に下宿して通いました。米沢市の助役を務めた
  赤芝の佐々木さんのお父さんが一級後輩で同じ
  下宿で友達だったそうです。
   山に行って根狩りをしたり、枝下ろしをしたり
   池の鯉を揚げ切ったり煮たり、寡黙で勤勉だった
   ことを覚えています.日米戦がおわり、進駐軍が
   きて案内役に、英語が出来る人が村に誰もいなかった
   ので、させられたようですが、炭焼きで山から煙がで
   ているのを、フワット イズ ザットと質問されて
   カーボンと答え、相手が納得したという話を聞いています.


 
  遠藤金六。曾祖父が亡くなってからは六郎兵衛
  を襲名。大正5年に米沢中学(興譲館5年制)
  を卒業のはずですが、卒業名簿にみえない。3級
  したの弟、盛(さかん)が入学したので2人は学校
  にやれないと言うことで、3年までで退学した訳です。
  英語の先生がアメリカ人の女の先生だったと言う話し
  を聞いたことがあるので名簿をみるとワットソンという
  ながみえます。


写真中央、興譲館で.


雪やこんこん あられやこんこん
  ふっても ふっても まだふりやまぬ
  いぬはよろこび 庭かけまわり
  ねこは こたつで まるくなる
  冬めいて寒さが強くなってきました.こたつを
  室内において、暖を取ります.庭の雪囲いも
  準備できました.


  吾妻荘の廊下は、曲がり廊下になっていて
  絵画がかざられ、観賞できるようになっています。
  下は、鈴木強作、笑う駝鳥です。


  朝晩、寒いせいか小野川温泉はもみじが赤くなり
  今が紅葉の見頃になっています。紅葉を眺めながら
  ゆっくりと温泉にひたり暖まって下さい。
  これは、花ではありません。花は春に咲きます。
  赤い実の中に、種子がみえます。昔、この木で弓
  を作ったのでこの名があると言われています。
  桑の将棋駒はもっていますがこの木でも、駒を
  つくるそうです。