小野川温泉 吾妻荘

小野川温泉 吾妻荘
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 小野川のルーツの一つは、伊達晴宗の時代に

 小野川が伊達の直轄地であったことと

 館山城の会津方面のおさえとして、道明山城、

 赤芝館があることから

 伊達が伊達郡から米沢に本拠を移した事と

 関係するもので坂本屋の屋号は坂本町の

 坂本城址にもとめられるものでしょう。

 剣カタバミがいにしえを語りかけています。

 
 

 夏野菜の口代わり。

 枝豆、胡瓜、海老のくず煮、

 卵焼き、トマトの胡麻豆腐。

 なすの味噌焼き、 夏野菜のレモンゼリー

 卵焼き。




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 トマトを湯むきして

 ジュウサーでくだき、

 ゴマ豆腐とミックスして

 固めます。

 
  さわやかな夏の味。


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 館山浄水場から赤芝部落を見下ろし

 左側 山懐に鎮座する羽黒神社。

 羽黒堂へは中世、館山城から大樽川の向こう西側

 を道が通っていたと謂われ、直江が原方赤芝へ

 移築したと伝わる。

 寄進者の名をみると館山衆がおおい。

 兼続の下級家臣が西原衆とよばれた城西、館山方面に張り付いた

 事からしてうなずけるものがあります。

  兼続は、下級家臣を開墾に従事させましたが

 それを監督する田家がおかれたのが西部小学校
 
 正門前の田屋町通りの謂われです。

 直江町の町名もそうした絡みかもしれません。



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 玉蜀黍、オクラ、

 蟹、をレモンゼリーでさわやかに

 しあげました。

 夏の味わい。



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 原方集落であった赤芝の路地を真言宗 龍性院

 前に上り、向かい側に赤芝観音がある。

 さらに、この道はおその沢へと向かっている。

 おその沢にあった集落から移築されたとされ、

 この街道は、中世 小野川街道の裏街道であった
 
 と考えられます。

   館山城周辺に、矢子、吹屋敷という地名が

 残っていますが、この館跡周辺にも 小矢子

 吹屋敷、馬場という地名が残っています。


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 米沢市史に、近世初頭 簗沢村に

 千坂兵部の配下が陪臣郷士として定住した

 とあり、これは赤芝部落のことで

 館跡残るおその沢の集落より、観音様を

 羽黒堂部落より、羽黒観音を祀り返させたのが

 直江の指揮によったという事もうなずけるものがあります。

 直江は羽黒山を領地として支配した時期がありますから

 笹野観音の羽黒権現、関根の羽黒神社、赤芝の羽黒神社

 などを修復したものでしょう。

 
 小野川温泉街の顔 尼湯。

 毎日、数十人の浴客が訪れる。

 熱い湯で有名でNHKでも放映された。

 戦後、この真ん前に米沢の土建屋さんが

 温泉を掘削しはじめたことがある。

 天童の温泉協会の偉い人がきて

 この掘削を阻止した。

 今は昔である。


 
 
 湯の神、お薬師様の境内は昭和までは

 子供の遊び場であった。

 車社会、少子高齢化、核家族化がすすむと

 ともに子供は路地や屋外で遊ばなくなった。


   小野の小町建立の伝承は、奥州藤原から

 伝わったもので平泉あたりに伝承の起源がある。

 近くの道明山城の宮崎が藤原の末裔の一人で

 梁沢村の起源が宮崎の一族郎党の残留組だからである。


   江戸期は尼湯の後ろにあったが明治期に

 現在地に移った。温泉の効能に感謝する人々の

 信仰がうかがわれる。

               
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