小野川温泉 吾妻荘

小野川温泉 吾妻荘
ログイン

 胡麻豆腐の木通いり、海老しんじょう
 紫蘇巻きあげ。あけび味噌ころもあげ。

 これは、将棋の駒の天童温泉温泉街
 公園の一角にある温泉神社です。
 久しぶりに将棋の駒をお店で眺め、江戸期の
 将棋駒などもみてきました。現在の将棋が
 形として定まったのは、江戸期のようです。
 

  帆立、馬鈴薯に卵の黄身の
  ドレッシングをかけて焼きます。

  小野川温泉の東側山際1キロぐらい上から
  農業用水のため手彫りの堰がほられている。
  山から流れてくる沢水を集めて小野川周辺の
  田んぼの水を張るための用水路として掘られたもので
  いつの時代になされたかはわからないが、
  手で山際を掘っただけの水路なのでかなり
  古い時代のものでしょう。
    手作りの自然環境が稲作、生命を守るために
  工夫されていたものでしょう。

 木通の皮を料理すると、あけびの実が残ります。
 胡麻豆腐とあけびの実を練って、葛でかためます。
 これを四角にきります。これで一品ですが、さらに
 粉をつけ、新引き粉をつけてあげます。

投稿日:2006/08/30 投稿者:みやまり
ゆっくりできましたー。宿の人も親切で、お部屋にお食事を持ってきてくれたときにいろいろお話できたりして、アットホームな感じがしてよかったです。お風呂(温泉)は少々熱いですが、爽快でした。何度も入りました。本館の大浴場もキレイでよかったです。選べる浴衣があって1000円で提供してくれているので、女性にはうれしいかもしれません。無料足湯も近くにあったので利用しました。熱いですが気持ちよかったですよ。

 伊達政宗は天正17年3月27日、足の骨折
 の後療法として小野川温泉に湯治していることが
 貞山公治家記録にみえます。「28日。小野川
 御旅亭において、新田義綱御膳を饗し奉らる。」
 旅亭とあるところから、1590年には宿があった
 事は確かで、新田(新井田)氏が饗膳したのは
 小野川が領地だったためかと注釈がついています。
 戦国期 新田の馬上に小野川治部の名が見え、
 新田が伊達期に小野川を何らかの形で支配していたのは
 確かです。
 
 

 豆乳をにがりでかためた汲み豆腐。
 水にさらさないために大豆のこいうまみが
 味わえる。これを郷土料理だしにしたてました。

 清水山に祠があったのは、覚えているが
 毘沙門様だったどうかまでは、子供のころで
 知らない。 安永元年(1772年)製塩始まり
 天保2年(1831年)洪水で、塩とりばと
 富士や弥兵エ以北17戸流失。とあります。
 天保14年(1843年)毘沙門堂再建。
 梅津弥平エ、鈴木宗益の名が施主にみえます。
 梅津さんは、現在、小野川に住んでいませんが
 上杉の定宿であった富士屋さんの子孫です。