小野川温泉 吾妻荘

小野川温泉 吾妻荘
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  宿名:名湯の宿 吾妻荘
投稿日:2006/10/19 投稿者:ミナショウ
ちょうど宿に着いたとき、団体のバスが目の前に・・・チェックインまで時間かかりそうって思ったら、出迎えに出ていたフロントの女性がすぐ来てくれて、部屋まで案内してくれた。温泉が部屋についていて、いつでも入れて本当にノンビリ出来た。料理も部屋だしで、ボリューム満点、美味しかったし、おかげで2kgも太ってしまった。とても良かった。ただドライヤーが故障らしく温風が出なかった。あとは、満足。帰りにうまかった、豆腐と鯉のうま煮を買って帰りました。

 朝晩肌寒くなって、紅葉が白布のあたりまで
 降りてきました。おつけものが美味しい季節ですね。
 紫蘇の実で米沢特産の丸茄子を漬けました。
 ご飯が進みますね。

 宿名:名湯の宿 吾妻荘
投稿日:2006/10/17 投稿者:うちなーんちゅ
ゆったりとプチ贅沢気分を味わうならここ!と言えるようなところでした。宿泊したところは、別館でしたが、2人で10畳の部屋だけでなく、部屋風呂にはなんと温泉まで湧き出ているという驚きがいっぱい!しかも部屋食で料理を運んできてくれるので、本当に落ち着けました。食事は申し込みの時点で米沢牛を3種類の調理方法(しゃぶしゃぶ、すきやき、ステーキ)から選ぶのですが、2人とも違う調理方法を選べたのは良かったです。米沢牛はすきやきが一番お勧めですね!1点気になったのは、本館の大浴場。どう見ても外から見えますね。外の駐車場からもそうですが、向かいの建物からも見えます。そこだけ改善できれば、100点です!

 享和元年、1801年 滝の出口に柵木をまわす。
 とあり、つるや、松島や、扇屋善五郎と尼湯の間に
 滝の出口とあり柵が巡らしてあります。 清水出口、
 滝の出口いずれも月山、清水山の地下水が鬼面川
 方向にゆっくりと流れて20〜30年かけて熟成された
 温泉水と表層で混じり良い湯加減になって、温泉街の
 盆地で沸いてでる様子がうかがわれます。

   
 

 ホテル山川さんは、江戸期から山川や甚五郎を名のっています。
 今と同じにその南隣にたきゆがあり、文字道理湯口が滝に
 なっています。その上にはせや林右衛門があり、その隣が
 医師 鈴木宗益として大きく屋敷を構えています。
                                             寛政期、幕藩期の中後期、鷹山公は民の父母の理念のもとに
 長崎から西洋医学を導入し、藩医、宿場医をおいて病人の
 救済にあたりました。
  
  米沢藩の好学の志がオランダ医学を藩に導入し、近隣藩からも
 修業に訪れています。宗益は、越後寄宿 鈴木三郎兵ェの子息で
 そうした蘭学の普及の流れに沿ったものでしょう。
 
 

  鈴木元治は高橋玄勝 桂林に師事したとあり
 高橋玄勝は、鷹山公がオランダ医学を導入した
 初期、寛政年間に杉田玄白に学んだ藩医ですから
 西洋医学の洗礼を受けたと思われます。
 文政期(200年ぐらい前)の版画の湯の効能
 を見ると頭痛、立ちくらみ、のぼせ、かっけ
 がん病、くさ、中風、淋病等の病名が載っていますが
 さほど時代の差を感じさせないのは、そうした理由
 からでしょう。
 

 豆腐と白胡麻すり鉢でねります。
 日本のクリームは牛乳でなく、豆腐
 と胡麻ですね。柿によく合います。

 昔はすべて天日で乾燥させたので
 稲ぐいにすべて干したものです。
 自然に干した稲は機械で乾燥させたものと
 違って一段と美味しいものです。
  集団で稲を刈って、稲ぐいにかけ終えると
 収穫の喜びが沸いてきます。