小野川温泉 吾妻荘

小野川温泉 吾妻荘
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 個人史の立場からは、情報が豊富で何百、何千の
 小野川近現代史が記せるでしょう。
  例えば、太平洋諸島での軍役従事者、南米、満州への
 移住者、の記録だけでも何十の近現代個人史が記せるでしょう。
  
  祖父の名前は、遠藤金六。その父は芳賀善次郎。善次郎は
 扇屋善五郎の兄弟で、扇屋さんから坂本屋六郎兵衛に明治前
 期に養子に入ったものです。
  江戸期は、尼湯のすぐ南隣に湯の神 薬師堂があったものです。
 そのすぐ南に春木屋 鈴木重助、その隣に坂本屋 遠藤六郎兵衛
 が大昔から宿を構えていました。
 
  

 山形名産もってのほか。これを高温でさっと
 湯がき、鮮やかな桃色に変わったところを
 甘酢に漬け込みます。
  もって菊 甘酢漬け。

 これは、川西町州の島 和田康広さんの
 「夢心地」という精米です。置賜盆地の
 農産物は、古代 出羽の柵の時代より関東
 武士が次第に征服定住した半士半農の伝統で
 まじめな作物という評価があり、風土の麗しさ
 もともない楽しめるものです。

 上杉神社のお堀端は、本丸の内堀が現在まで
 残っているものです。以前は、ボートなど浮かべて 
 いたものです。現在は、伯爵邸、伝国の杜、
 松ヶ崎神社と一体になって米沢観光の目玉になって
 いますね。

 米沢城の本丸跡に大正12年、東大工学部
 名誉教授、伊藤忠太博士の設計により建設
 された。日本建築の伝統が迫ってきますね。

 上杉城趾、東南角の謙信公の御堂跡から
 伝国の杜 上杉博物館を望みました。
  館内には、郷土史の図書閲覧ルームや
 喫茶スペース、郷土関係図書販売店、公会堂
 等もあり伝国の杜を見渡せる環境で気持ちよく
 調査学習できますよ。

  明治29年、米沢城二の丸・寺院跡に
 上杉茂憲伯邸として建設されたが、大正八年の
 米沢大火で焼失。大正一四年、米沢出身の中条
 誠一郎により設計された。同氏の設計で米沢
 高等工業本館、慶應義塾図書館も現存する。
  現在は、郷土料理店として解放されている
 のでご覧下さい。

 東北芸術工科大学が地域の伝統遺構
 の情報を募集しています。

 小野川の名月が上る月山。明治期は銅山
 と呼ばれ、銅を掘っていた時期もあります。
 江戸期は、虚空蔵山とよばれ虚空蔵菩薩が
 奉ってありました。