小野川温泉 吾妻荘

小野川温泉 吾妻荘
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 山形名物 ラフランスが出回ってきました。
 見かけは不格好ですが、美味ですよ。
  固いままでうっていますから、身が柔らかく
 なった頃合いを見計らって食べましょう。
 
 食べるタイミングがポイントです。フランスの
 香りがしますよ。

 舞茸、ピーマン、蟹クリームコロッケ。
 日吉の進駐軍バラック跡の学食で食べた
 蟹クリームコロッケは美味しかったですね。
 何故美味しかったのでしょう。手作りで
 蟹も芋も新鮮なものをつかっていたのでしょう。
 他では、あの味は味わえませんでした。

 大根、蕪、赤タマネギ、もって菊、
 京水菜、牛たたき、レモン、焼き帆立。

 蕪と薩摩芋を大きく切って酒粕で
 にます。体がジーンと温まってきます。
 昔の惣菜料理は体の涵養に配慮されていますね。

 小野川温泉は、明治期に二度の大火に見舞われています。
  明治五年五月一四日、六二戸焼失とあり、その年は、
 復興作業が行われたものでしょう。同じ年、八月三日
 明治新政府により学生が発布され、近代の教育の種が
 蒔かれた年です。
  翌年、江戸期に寺子屋であった金乗院で小野川小学校
 が開校されました。
  明治11年11月、現在の農協さんの場所に和洋折衷の
 小学校校舎が建てられました。最初は、特に女子の修学
 率は低かったようです。明治期を通して次第に修学率が
 高まっていったもののようです。
  金六は、明治後期に徒歩で2〜3分のこの明治の小学校
 に通いました。

 旬のかぶらを煮て、海老、銀杏、蕪菁の茎
 しめじ、をのせます。
  煮汁にゆずでとろみをつけ、かけます。
 暖かい蕪菁釜は肌寒い季節に美味です。

寒くなってきました。吾妻荘の忘新年会
 プランで暖まってください。

 金六は、明治30年、10月1日坂本屋で生まれました。 
 
  明治31年に米沢で初めて電気の明かりが灯りました。
 水が光に変わるというキャッチフレーズでお祝いが
 なされたそうです。その光を見に多くのひとが松ヶ崎
 公園に集まったそうです。ロウソクやたいまつ、螢の
 光、窓の雪の時代に電気が利用される時代になったという
 ことは、いまとなっては当然ですが決定的に庶民の生活を
 変えたものでしょう。
 
  停電の時の不便さを考えれば当時の人々の期待と喜びが
 想像できます。
  
  その電気は、小野川にいまも遺構がのこる米沢水力電気
 株式会社、滝ノ沢発電所つまり現在の小野川射撃場で発電
 されたものです。徒歩で5分〜10分ですから坂を上って
 組合駐車場をすぎ、右に折れ橋を渡って史跡をご覧下さい。
  発電機は、明治村に保存されています。

アブラナ科のかぶが旬ですね。蕪の皮をむき
 上部をえぐり、にます。そして柔らかくなったら
 つめものをします。