小野川温泉 吾妻荘

小野川温泉 吾妻荘
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 明治5年10月、置賜県学の興譲館が廃止され
 明治7年藩士協立私立米沢中学校と改称され、
 藩学の命脈がたもたれていましたが、明治も
 後期になり山形県知事管理、明治33年県立
 米沢中学校となり34年関東町(現西大通り
 アクテイー米沢)の新校舎に移転しました。
  県立校になると卒業生もふえ、在郷からも
 次第に入学者が増えてきました。

 先生 教えを施し 弟子 これに則る(のっとる)
 温恭 自ら虚うし 受くる所 これを極む(きわむ)

 善を見ては これに従い 義を聞いては すなわち服す
 温柔孝悌(おんじゅうこうてい)にして 驕りて力恃む(たのむ)
 ことなく 
 
 志に虚邪なく  行いは必ず正直
 遊居 常にあり 必ず有徳に就く

 顔色 整斉  中心必ずつつしみ

 夙に興き(つとにおき) 夜に寝ね
 衣帯 必ずととのう

 朝に益し暮れに習い 小心翼々(しょうしんよくよく)
 此を一にしておこたらず 是を 学則という

                 細井平洲書

 赤ワインのゼリーにラフランス
 をのせ、ミントを添えます。

 食の自然遺産 雪菜は、長岡菜と遠山蕪
 の自然交配でできた種といわれています。
 遠山蕪は、上杉藩が新潟から持ち込んだ種
 と言われていますが、今が旬ですね。

 11月、18日(土)ゲレンデオープン、冬山安全
 祈願祭。初滑り。
  スキーシーズン開幕ですね。

 いくじをボイルして、大根おろしを
 つけたシンプルなものですが
 あっさりしておいしです。

 霜が降って、白菜にうまみが増しました。
 自然に漬けた白菜はやわらかなあたりで
 とてもおいしくご飯が進みますね。

 明治41年の小野川尋常小学校(6年)は
 学級数2クラス,生徒数が男48,女51計100名
 近く在籍していまいた。
  高等小学校(2年)は1クラスで男8名、女4名でした。
 (米沢市史近代編)

 金六は、明治後期いっぱい小野川の小学校にかよい、
 平仮名、漢字、読書、作文、習字、算術、そろばんなどを
 ならい、高等科を明治44年に卒業しその年の4月、
 米沢中学に入学しました。
  
 写真は、明治36年に坂本屋が発行した版画で金六が
 通っていた小野川の高等、尋常小学校です。いまの
 小野川入り口左、農協さんの敷地にあり、大正11年
 に簗沢小学校と合併されてからは、昭和の戦後しばらくまで
 公会堂として使用され、無声映画などを上映していたものです。


  
 平茸しめじ、ブナしめじ、ほうれん草、
 もって菊のひやしるです。