小野川温泉 吾妻荘

小野川温泉 吾妻荘
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 林檎をボイルしパイ生地で包みます。
 こんがりと焼いて ソースでデザインし
 苺とクリームを添えます。

 穏やかな冬ですね。あつの湯と言われる食塩泉、
 体の芯から暖まるラジウム泉で雪景色を楽しみ
 ながら温泉を楽しんで下さい。

 

 暖冬で大雪がなく、雪景色が楽しめる
 とても良い冬ですね。温泉街は温泉熱の
 暖かさで道路に雪がありません。
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 来月、今年も雪灯籠祭りがの日がやってき
 ます。

 団子を木にさし、正月に豊作を祈願
 するものです。団子や千両箱大判小判の
 ふなせんべいなどを吊したものです。

 山の松の梢に神が宿るとされたので
 年末に松迎えの行事がなされていまいたが
 玄関に二本、立てて門松としたものが
 現在でも正月の門松として受け継がれている
 ものです。

 小野川村の隣、道明山を中心に簗沢村に七大盡という長者がいて、
 そのうちの一軒の近くから、室町期の
 遺跡が出土した。と郷土史に報告されています。
  道明山城が室町期の根小屋式山城であったとすれば
 その城主宮崎の配下の者が七大盡で、東沢、西沢、中山、
 の峠の要所や、大台原に点在していたと考えられます。
  室町以前の長井(大江)が置賜を支配していた以前からの
 奥州藤原の一族の系列の者が土着して簗沢村になったのでしょう。

 庭上(ていじょう)の一寒梅(いちかんばい)
 笑って風雪を侵(おかして)開く
 争(あらそ)わず又力(つと)めず
 自(おのず)から百花の魁(さきがけ)
 を占(し)む
 
 
  新島譲 作   明治時代の宗教家、教育者。
 京都にキリスト教主義の同志社を創立。
 天保十四年正月生まれ。幼時から漢学を修め、
 杉田玄白について、蘭学を学んだ。
 アメリカで神学を学ぶ。


 これは、ネットで公開されている東大史料編纂所
 史料の、「伊達世臣家譜」の中の宮崎氏の系譜書き
 です。置賜郡の道明山の宮崎城にちなみ、もと新田
 を名のっていたのが、宮崎を名のるようになった
 と記されています。
  新田(仁井田)は館山城主で奥州藤原の家系で
 伊達が米沢を支配してからは伊達の家臣となった者ですが、
 宮崎も新田の家系で、簗沢いったいを支配した古い土豪であったので
 しょう。