小野川温泉 吾妻荘

小野川温泉 吾妻荘
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  昨日、三沢コミセンで直江会の会長 小山田先生
  
  のお話お聞きしました。

  直江の旗が届きました。

  前立ての愛は、愛染明王の愛で夫婦愛、家族愛
  を表す。 戦闘用の鎧でなく、儀式用の鎧と言うことで
  した。

  

 9月18日まで募集しています。

 開催日、9月29日(土)9時半から

 お問い合わせ 米沢市商工観光課 

  0238225111


 樅の木は残ったの原田城趾、川西ダリア園。

 明日から11月いっぱい650種、50000本
 のダリアが咲きほこります。

 昔は、農家の庭先にどこも咲いていたものです。

 イザベラバードの日本奥地紀行を翻訳した
 高梨健吉のお兄さんが鑑賞品種作りを試みたのが
 この観光花園のおこりです。

 宿名:名湯の宿 吾妻荘
投稿日:2007/07/25 投稿者:ポポコ
日々の疲れを癒す為、温泉でゆっくりしたいと思い利用させて頂きました。建物はかなり古く最初のイメージはイマイチでしたが、部屋にお風呂がついていて入りたい時にいつでも入れ、なんといってが湯質がとても良く、何度入っても湯あたりしない体に優しいお湯でした。食事もステーキおいしかったです。ほたるも見ることが出来て最高でした。又行きたいと思う温泉です。ありがとうございました。

    吾妻園に宿泊のお客様、有難うございます。

     またのお越しを おまちいたしております

 お盆に梓山の獅子踊りがあります。

 綱木の獅子踊りは絶滅寸前でしたが、綱木出身者
 が市の呼びかけに応じて獅子踊り復興に賛同し
 稽古し、また観られるようになったのは嬉しいですね。

 浴衣をきて花火を観ての夕涼みも楽しいですね。

 米沢盆地南端、赤崩山から盆地を眺め直江兼続
 は、松川の氾濫を防ぐため数キロに及ぶ石堤の
 建設を決意したといわれます。

 眼下に広がる米沢の盆地は、イザベラバードが
 東洋のアルカディアと絶賛したように確かに美しい。

 米沢市街の東を通る松川(最上川上流)の市街地へ
 氾濫を防ぐにはこの公園から市街地近くへの堤により
 西側への氾濫を防ぐ以外に無かったものでしょう。

 清々しく整備された公園で、石積みを眺めていると
 先人の偉業におどきます。

 写真奥の堤防が河原から数十メーター離れた2段目の
 堤防跡です。全部、川原石を運んできて作られたのでしょう。


 宿名:名湯の宿 吾妻荘
投稿日:2007/07/19 投稿者:meg
生憎台風の影響で、雨模様でしたが、一時雨が止み目的の蛍狩りが出来て感激でした。夕食にご飯が食べられなかったので、宿の方が気を利かせてくれておにぎりにして運んでくださりました。とても親切に接待して頂き、感謝しております。温泉の泉質も良くて、又行きたい宿です。

 
 ご来館有難うございます。またのお越しをお待ちいたしております。

          スタッフ一同

 関の山中三平の雑草庵竜田でおもちを食べられますが
 
 この入り口には樋口の石碑があり、笹野のなでらそば

 の建物はもとここから移築されたものです。

 飯豊町添川にも直江兼続との関連で大国、樋口が
 定住し、直江家の断絶後の政変と関連した口伝書
 が伝わっています。


 

 関町公民館の裏に、200年前の石碑が立っています。

 碑の拓本が南原のあゆみに載っています。

 伊達の執政遠藤基信の弟信秋の子、土佐信義
 が関町に土着し、義弟の小太郎

 と共に直江兼続の最上戦役に従事し、小太郎は戦死し
 土佐がその子供の後見人となって
 遠藤家を存続させた。

 遠藤家は原方部落の庄屋として上杉時代も存続した。